わたしの愛読書 桐野夏生を紹介しまくる
久しぶりのわたしの愛読書シリーズです。
桐野夏生は、現代社会の病理や人間の心の奥底を容赦なく描き出す、日本を代表する小説家の一人です。
1959年、石川県金沢市に生まれました。
成蹊大学文学部を卒業後、シナリオライターや漫画原作などを経験し、1993年『顔に降りかかる雨』で乱歩賞デビューを果たします。
1998年には、女性の過酷な労働と犯罪を描いた衝撃作『OUT』で日本推理作家協会賞、翌年に『柔らかな頬』で直木三十五賞。以降、数々の話題作を世に送り出し、現代社会に鋭いメスを入れる作家として、確固たる地位を築いています。
桐野作品の魅力は、その多岐にわたるテーマと、リアリティ溢れる筆致にあります。
社会の底辺で生きる人々の姿、女性の抱える苦悩、現代社会の歪み、人間の狂気など、目を背けたくなるような現実を、彼女は徹底的な取材と緻密な構成力によって、読者の前に突きつけます。
その作品世界は、時に残酷でグロテスクでありながら、同時に人間の弱さや哀しみ、そして生きるための強さを浮き彫りにします。
初期作品から最新作まで:桐野文学の軌跡
『顔に降りかかる雨』(1992)
女性私立探偵「村野ミロ」シリーズの第1作目。女に1億2千万を持ち逃げされた、後に恋人関係となる自動車販売業の男と共同して、その行方を追うハードボイルドサスペンス。持ち逃げした女は殺され、その女を操っていたヤクザの男も殺されていた。果たして真犯人は……? どんでん返しの衝撃の結末が待ち受ける乱歩賞受賞作。
続編『天使に見捨てられた夜』にも、風俗業の男に騙され、寝てしまう場面があるが、ミロは決してかっこいい女性探偵ではない。男に騙されまくるのである。そこに村野ミロシリーズの魅力があるといえる。
無論、真実を追求する芯の強さと、それゆえに女性を抑圧する社会構造に辿り着いてしまうという結果は、社会派作家へ転じていく後の作品にも通底するテーマを持っている。
『OUT』(1997)
東京郊外の弁当工場。深夜のライン作業に追われる主婦たちが抱えるのは、夫の暴力、借金の重圧、介護の疲労、家庭の崩壊。それぞれが背負う暗い現実は、ある「事件」をきっかけに狂気と欲望の渦へと飲み込まれていく。殺人、死体処理、裏社会との接触……。彼女たちの選択は希望へのもがきか、それとも破滅への一歩か?
桐野夏生が描くのは、普通の主婦たちが追い詰められた先で手にする一縷の反逆と救い。真夜中に繰り広げられる人間ドラマと犯罪サスペンスの緊張感が本全体に漂う。暗闇の中で輝く、彼女たちの「OUT」を見届けよう。日本推理作家賞受賞作だが、のちにエドガー賞に日本人作家として初ノミネートされた功績を強調しておこう。
『柔らかな頬』(1999)
幼い娘の失踪、不倫の罪悪感に苛まれる母親、そして余命わずかの刑事。救いようのない現実と容赦ない描写が交錯するこの物語は、ミステリーを超えた圧倒的な人間ドラマ。娘を探し続ける母カスミと、死を目前にして再捜査を試みる内海刑事。彼らの「生きる業」が、読む者に問いかける――人生の絶望の中で、彼女たちはどう生き抜くのか? 登場人物は全て「水」に関連する名前で統一され、複雑に混じり合い激しく「奔流」する。
苦しいほどのリアリティーが貫かれ、最悪としか言いようのない読後感が待ち受ける。否応なしに、人間の心に棲む「魔」と「業」に触れてしまう1冊だ。この直木賞受賞作を覚悟して読んでいただきたい。
『グロテスク』(2003)
美貌、羨望、格付け、そして絶望。
名門Q女子高の階級社会、嫉妬と憎悪が渦巻く悪意の底へと引きずり込まれる――。
昼はOL、夜は街娼という二重生活を送る和恵。悪魔的な美貌で周囲を翻弄する妹ユリコ。冷徹に物語を語る姉「私」。そして、最下層からのし上がろうとする中国人のチャン。それぞれの視点で描かれるのは、人間の暗部を抉る壮絶なドラマ。実在した「東電OL殺人事件」をモチーフに、女性たちが生きる現実をここまで残酷に描いた作品は他にないだろう。胸が詰まるほどの苦しさ、しかし手を止められない圧倒的な筆力。読み終えたあと、心に残るのはため息と虚無感。そして、人間とは何かを考えさせられる根源的な問い。
人から認められたいという誰にでもある欲望が、過酷な階級社会に消費されていく模様を、グロテスクに描き出した傑作。登場人物全員が信頼できない語り手であり、桐野はこの妖しくも虚しい物語で、泉鏡花賞を受賞した。
・『メタボラ』(2007)
記憶喪失の青年「僕」と、故郷を捨てた昭光が沖縄で出会い、新たな人生を模索するロードフィクション。社会の底辺で生きる若者たちの現実を鮮やかに描きながらも、読後に清新な余韻を残す作品。題名の「メタボラ」は「メタボリズム(新陳代謝)」に由来し、建築の概念とも結びついている。
主人公である「僕」の過去は、家庭崩壊や偽装請負の労働環境、中国人労働者との淡い恋心、さらには集団自殺未遂といった悲惨な経験に彩られている。その過程で記憶を失い、昭光と出会いながら、少しずつ自分自身を取り戻していく。一方、昭光も名前を変え、過去のつながりを断ち切ろうとする中で「僕」との関係を通じて自らの居場所を模索している。
本作では、沖縄という舞台が持つ明るいリゾート地としてのイメージとは裏腹に、戦争や基地問題、失業や差別といった影の部分に光が当てられている。また、若者たちの漂流するような生き方や、社会の底辺に追いやられる現実が、緻密な筆致で描写されている。この物語を通じて桐野は、現代社会が若者たちに突きつける過酷な現実と、そこから抜け出すことの困難さを浮き彫りにしている。さらに興味深いのは、桐野の他作品と比較して、『メタボラ』の主人公たちは自己防衛的な攻撃性に乏しく、むしろ淡々と搾取される側に留まる点である。この「無力さ」の描写が、読者に主人公たちの苦悩や孤独を強く訴えかける要因となっている。物語の終盤、「僕」は記憶を完全に取り戻し、自らの選択で昭光を救うために行動を起こす。その結果、彼らは再び新たな旅路へと向かう。この旅が、彼らにとって安住の地を見つける希望の一歩となるのか、それともさらなる漂流を続けるのかは語られない。しかし、彼らの姿には、搾取される側として生きることへの抗いと、再生への微かな希望が垣間見える。
『メタボラ』は、社会的弱者に焦点を当てた桐野作品の中でも、若者たちの「自己創造」の旅をテーマにした意欲作である。その重層的な物語と、社会問題への深い洞察が、読む者に強い印象を与える傑作といえよう。
朝日新聞に吉田修一『悪人』と並んで連載され、対抗馬が強すぎたせいで印象が薄いが、個人的に桐野作品で最も好きな作品である。
『東京島』(2008)
この作品も「アナタハン島事件」と呼ばれる実際に起こった事件がモチーフになっている。無人島に漂着した男女のサバイバルと、極限状態における人間の狂気を描く。映画化もされた話題作。文明社会から隔絶された環境の中で、人間の欲望や本能がむき出しになっていく様を、スリリングに描く。谷崎潤一郎受賞作。
『ナニカアル』(2010)
戦争の時代、文学は芸術としてだけでなく、国家の道具としても利用された。本作は、実在の作家・林芙美子をモデルに、戦時中に「国家」と「文学」の間で揺れ動いた彼女の葛藤を描いたルポルタージュ風のフィクション。従軍作家として戦場に赴き、国策文学を書く林芙美子。その背景には、若き新聞記者・斎藤謙太郎との愛憎劇が絡みます。国家のために生きざるを得ない現実の中で、互いを疑いながらも惹かれ合う2人。愛は国家という「罠」を超えられるのか?
膨大な参考文献をもとに描かれたこの物語は、歴史を背景にしながらも、普遍的な人間の悩みや愛を描く骨太の文学作品に仕上がっている、読み応えたっぷりの1冊。
戦争と文学の深い関係に迫る『ナニカアル』。なんと島清恋愛文学賞と読売文学賞をダブルで受賞。
ぜひ手に取って読んでほしい!
『日没』(2021)
作家・マッツ夢井のもとに届いた一通の召喚状。それは、政府の「文化文芸倫理向上委員会」からの命令だった。断崖に建つ海辺の療養所に収容された彼女は、「社会に適応した小説」を書けという命令に抗いながら、終わりの見えない軟禁生活を強いられる。
日本に近似した国家が「ヘイトスピーチ法」を強いた正義を盾に、表現の自由を蹂躙する恐怖。
自粛が生む相互監視の圧力は、奇しくもコロナ禍に出版されたこの作品の魅力を掻き立てている。
隔離された空間で彼女が直面するのは、想像力を封じ込められる悪夢そのものだ。自由とは何か、自分とは何かを問い直す1冊。
近未来の日本で社会的・文化的崩壊が進む中、作家という存在の意義を問う骨太の文学作品に仕上がっている。
まさに今、読むべき作品ではないだろうか?
桐野夏生:社会への眼差し
華々しい賞を受賞してきた人気作家、桐野夏野の作品は、社会派ミステリーという枠組みを超え、現代社会が抱える様々な問題を提起しています。
女性の社会進出、格差社会、高齢化問題、環境問題、災害、そしてパンデミックなど、現代社会の抱える課題を、彼女は鋭い視点で捉え、作品世界に反映させています。
彼女は単に現代社会の闇を暴くだけではありません。彼女は人間が抱える弱さや醜さ、そして時折見せる美しさをも包み込み、読み手に問いかけてきます。
「あなたなら、この瞬間にどう生きるのか?」と。
その問いに応えるために、ぜひ一冊、いや、できることなら数冊の桐野作品を手に取ってみてください。その中にはきっと、自分自身の人生や価値観に揺さぶりをかける言葉や情景が隠れているはずです。苦しくても、痛くても、逃げることのできない現実を見つめることで、逆に見えてくる希望や再生の兆しもあるかもしれません。
最初に手に取るのが『OUT』のような衝撃的なサスペンスでも『柔らかな頬』のような深い人間ドラマでも、『グロテスク』のような心をえぐるような物語でも構いません。一歩踏み出して桐野の世界に足を踏み入れれば、きっと戻れなくなるほどの魅力がそこにはあります。
読了後、胸に押し寄せる感情は、苦しさかもしれないし、解放感かもしれない。それでも「もっと知りたい、もっと読みたい」と思わせる圧倒的な力が、桐野夏生という作家の筆には宿っています。
桐野文学は、単なるエンターテイメント作品ではなく、社会を映し出す鏡のような役割を果たしていると言えるでしょう。
ぜひ、まだ読んでいない人は、ひとつでも良いので、手に取って読んでみてください!
【編集後記】
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