「自分の色」と「好きな色」
みなさん、こんにちは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
私の住まいは地方なのですが、他の地方のナンバーの車を多く見かけます。
今までの自粛生活を「ここぞ!」とばかりに、お土産の爆買いでストレス発散されている方が多いのだろうか?と、分析しながら遠目で眺めています。
他の行楽地はどれだけ人が集まっているのでしょうか。
みなさんは、自分で「自分の色」みたいなものを決めていますか?
どの「色」が好きなのかといったことは「年齢」によって、または、自分のその時の「趣向」によって変化することはあるかと思います。
「昔は黄色が好きだったけれど、少し年齢を重ねてベージュが好きになった。」
「幼い頃はピンクが一番だったけれど、今は緑の方が気分が落ち着く。」
という感じで、個人の「色」遍歴は、様々な歴史があると思います。
私は「自分の色」を持つことで、自分をどんな人間にするか?という「自分デザイン」を楽しんでいます。
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私自身の「色」遍歴は、多くの色を好きになり、「色」から力を貰いました。
ある時は「青」から、清々しさと言動に深みを加えることを。
またある時は「ピンク」から、女の子を楽しむことと愛情を。
そしてある時は「黄色」から、未知なる自分との出会いと快活さを。
どの「色」を思い浮かべても、人生のどこかで助けてもらい、支えられています。
色によっての「好き」の度合いが違うことはありますが、どの色も「なくてはならない」と思っていますし、様々な色がズラッと並べられた状態は壮観で感動します。
ですので、小学生の時に使った色鉛筆は、あまり使わない色があったとしても、なくしてしまったり、逆に、よく使ったから新しく買ってもらうまでの、一本分だけ収納空間が空いているのを見て、言い表すには難しい「寂しさ」を感じていました。
現在では「カラーセラピー」という方法があるほどに、色が癒しの力を持つと言われるのが、自身の感覚として分かります。
ただその「色」を身に着けるだけではなく、その色が身に付いていてくれるだけで、気持ちが和んだり、落ち込んだ心を癒してくれたり、前に進む勇気を貰えるからです。
「色」に触れるだけで、淡々と「ある」だけの心や気持ちに、潤いが与えられるのです。
極端な例ですが、ボーっとなんとなく景色を眺めていた所に、虹を見つけた時の嬉しさや驚きの気持ちとも、通ずるところがあると、個人的には思っています。
この他に、自分に合う「色」を診断できるカラー診断や、メイク時の参考とするために、自分の肌がブルーベースなのかイエローベースなのかといった判定をしてくれるサービスを見ます。
私も、この「カラー診断」を大いに利用していましたが、診断すればするほど、「自分の好みが縛られている感覚」が強くなったので、卒業しました。
カラー診断をよく使用していた時の私は、自分に自信がなく、どの色を持ってきても「自分には似合わない、色に申し訳ない」と、思っていました。
メイクの時でも、赤やピンクを好きで使いたくても、自分が一重まぶたなばっかりに「腫れぼったく見える」という単語で、好きであることを諦めたり、「淡色よりも寒色の方が似合う」と言われたら、淡色が好きでも無理矢理「好み」を変えることに必死でした。
誰かの基準を通してでないと、自分の「好き」は認められないと、思っていたのです。
ですが、うつ病から本格的に始めたカウンセリングで、自分自身のことを見つめ直した時に、「色」においても、自分の「好き」を封印してきたことに気が付いたのです。
やっぱり、自分の好きな色を使いたい・・・。
もう人に嫌われてでも、蔑まれてでも、なんでもいいから、自分の好きな色を、「自分の色」として、使っていこうと決めました。
それから私は、「自分の色」と決めた「色」について、インターネットや本で調べました。
その「色」がカギとなるキャラクターや、物質等を研究してみました。
調べていく中で、自分の心に「ワクワク感」や「ときめき」を与えてくれた単語を拾って組み合わせて、自分をデザインし直しました。
現在では、自分デザインの成果が出てきたのか、私が「自分の色にする!」と決めた色は、「綺羅っていったら、この色だよね。」と言ってもらえる程に、その色が私と共にいてくれています。
ちなみに私の、「自分の色」と決めている色は、「紫」です。
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「自分の色」を決めていると「迷った時の道しるべ」として、助けてくれることがあります。
私はそういう意味で「自分の色」と「好きな色」とは、別物で考えています。
「好きな色」は、私もよく変わります。
自分の「好き」の数は、それだけ数の分の「自分を表現するための方法」を持つことだと思っています。
一昨日は「赤」の気分だったけれど、昨日は「白」が気になった、でも今日は「黒」がいい!というように、日によって、気分によって、場所によって、誰と過ごすかによって、自分は変化します。
その「変化」は、見知らぬ自分を開拓していくことです。
ですが「変化」ばかりを重視しすぎると「自分」がわからなくなるのです。
「自分」が分からなくなった時に、「変化」を続けようとすると、自分の心が休むことができなくなってしまいます。
そうした時に、自分の「安息の地」となるのが「自分の色」なのです。
「変化」を楽しめるのは「安息の地」に帰ることができるからこそ、できることだと思っています。
「変化」は楽しいだけではありません。
恐怖や不安を感じることがあるでしょうし、誰もが「恐怖や不安でも”楽しむ”」を、できるわけではありません。
現に、私がそうだからです。
それでも、生きていれば自分から「変化」しなくとも、「変化」を迫られる時が来ることもあります。
怖くても、不安でも、向き合わざるを得ないのであれば、私は「自分の色」で、少しでもその恐怖や不安に向き合える自分をデザインしたいと思っています。
「自分の色」も「好きな色」も、生きていく上では、両方大切です。
「自分の色」と「好きな色」が、お互いを引き立たせてくれているから、私はどんな色でも「使いたい!」と、思えます。
私はふと考える時、「自分のカラーツリー」を想像しています。
「好きな色」は木の枝で、「自分の色」は木の幹、その根底には「全ての色」がある、といった感じです。
そのデザインを、私は一生続けるでしょう。
さぁ、今度はどの部分のデザインを変えようかな・・・。
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トップ画像は くらし様 からお借りしました。
ありがとうございました!
みなさんからの、スキやコメントやフォローいただけることで、日々精進できていて、ありがたいことです!
この記事にお時間いただき、ありがとうございました。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、素敵な色日和を!