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身体のリズムに委ねて、昼寝

みなさん、こんばんは。綺羅です。

今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。


6月も半月を過ぎましたね。

あと十数日で今年の半分が終わるわけなのですが、ここまでの道のりはいかがだったでしょうか。

私の今月末は「有料記事投稿」をめざしていますので、そこに向かって、今は一歩でも歩みを進めたいと考えています。


さて、私は今日、やってしまいました。

そんなつもりはなかったのに、やってしまったのです。

無理もしていませんでしたし、自分のペースを大切に、学習も創作もしていました。

なのに、やってしまいました。


3時間ほど、昼寝をしてしまいました・・・。

ですが、おかげで気分は爽快です。



💤

みなさんは、睡眠時間をきちんと取られる方ですか?

それとも、多少無理がきく方ですか?


私は以前、自分が昼寝をしてしまうことについて

「時間のもったない使い方をしている」

「自分の体力がないから、日中ダメになってしまって寝てしまうんだ」

と、責めていたことがあるのですが、以前に昼寝について書いた記事以降、自分自身が「昼寝をしたっていいじゃないか」という気持ちになれて、穏やかな気持ちで過ごせていました。


ところが、そういった状態に限って、昼寝をしなくなり、むしろ余計に元気になりました。

昼寝をする自分を受け容れて、いつでも眠気が来ていいと思えているのに、一向に身体が、昼に寝たいと訴えてこなくなりました。

「○○しなければならない」「○○であらねばならない」といった執着を手放す重要さは、いろいろな本や心理系の本に書かれていますが、制限を外すと、意外なほど、のびのびと活動できることが驚きでした。

「昼寝しちゃダメだ」と思っていた時の私は、楽しい出来事があっても、その後に身体が酷くぐったりしたり、偏頭痛を起こしたり、「寝てはいけない」という縛りから、「常に気を張っていなければダメだ」という強迫観念に囚われ、身体のリズムがボロボロだったのです。

そんな状態からの、自分に昼寝の許可を出したことで、自由気ままに寝るだろうかと思ったのですが、ほとんど寝なくなってしまいました。


「許可を出す」ということは、自分に「いつ寝てもいいよ」と言ってあげることです。


自分一人の時間において、「いつ寝てもいい」と感じられていると、肩の力が程よく抜けて、かえって学習や創作、みなさんと交流する時間が増やせたようにも思えたのです。

「いつ寝ても良いって、思ったら、逆にもっと動ける様になった!ラッキー!」と、思っていた矢先でした。

今日、昼の間に、3時間ほど眠っていました。


自分が使う羽布団を抱きしめていて、時計の針を見ると、予定とは大幅にずれた時間が示されていました。

・・・ああそうか、今日のあの時、私は寝たかったのか。

私が私に、「いつ寝てもいい」と言っていたので、自分でやりたいことをやれるだけやって、身体を休めたのだと思います。

「いつ寝てもいい」とは、「○○できてから」とか「○○までしてしまってから」というのではなく、

ただ、自分の身体にリズムを委ねること、

ですね。


実生活を過ごす上では、そうした昼寝をするには、なかなか難しい部分があるかなとは感じます。

ですが、起きた後の「たくさん寝たぞ!」という満足感が、自分への癒しになり、また新たに学習に創作に取り組むことができるので、自分の身体のリズムに合わせることは、

自分自身への「癒し」「幸福感」につながるものなのだなと、思います。


近年は、「昼寝」を積極的に取り入れる企業が少しずつ増えてきていると、聞きます。

生きていく上で、自分を癒し、幸せな気持ちにさせてあげることは、これからもっと大切になることではないかと、考えています。


ただ「昼寝をしていい」という許可を自分に出すだけのことかもしれないですが、

そこにはふわふわであたたかな「幸福感」が待っていたのでした。



💤

トップ画像は M@R / めばえる様 からお借りしました!

ありがとうございました。


みなさんからのスキに、今日も幸福感で満たされます。

この記事にお時間をいただき、ありがとうございました!


それでは、今日はここまでです。

みなさんにも、いい昼寝日和がありますように。



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