歩き方を意識したらぎこちなくなるように1度呼吸の仕方を意識したら、、、
2020/09/27 スマホメモ
歩き方を意識したら歩けないように呼吸も意識すると途端に出来なくなる。1度不調を起こすと、気を意識してしまうからだめなのだ。少々おかしくても、気にならないくらいがちょうどいいのだ。
ちょっとしたいたずらや、嫌がらせ、いじめで靴を隠すという行為があるが、靴がなくなるということは物理的にも精神的にもダメージが大きい。靴を奪われる。つまり、歩く術を失う。前に進む、自由にあゆむことが出来なくなることだ。
長距離走が無理なのか、いつ終わるか分からないし、前はむしろ遠い未来の目標にわくわくしていたのに、それができなくなった。目標設定をして頑張ることができなくなった。たしかに治ったとは一瞬感じるけど、元の状態では無いのはたしかだ。病院以外のはけ口を作ることが薬から離脱できる手段。そもそも長距離全力疾走は初めから無理なもの。あの頃に戻りたいけど戻れないから今の自分を愛すしかない
用事までの時間が長すぎる。朝から起きてまうと一日が終わるまでが長すぎる。どうやって過ごそうか考えてた瞬間に気が遠くなる。誰かといる時は勝手に時間が過ぎていくけど。
切るのを抑えたくない自分もいる。だから頓服を飲まない。
もう治ったって思うのも病気なのか。軽躁状態なのか。でもそんなこと考えても埒が明かないので、軽躁状態だったとしても、元気な状態を純粋に楽しめばいいのだ。そのあとに急降下が待っているなどと考えない方がいいのだ。
鬱のそこは浅くなったのに気分が沈んだまま結局は時間が過ぎていくので、程度は変わって楽になれたし、死にとらわれなくなったけど、結局人生に色がついたかといえば決して戻ったわけとはない
自分は大切にしないといけないと少し思えるようになった。成長。
病んでる自分に自己陶酔。だから、元気になってくると、少し荒んだ自分に戻りたくなったりするのかも。ださ。
病院に行ったからといって楽になれるのではなく、逆に通院や薬、先生との相性などで問題も発生してきたり。外傷的な病気と違って、やっぱりどこまでいっても自分の問題で治す主体も自分でしかないのだ
あくまでこれは一時的なこと。そう思えるようになったというか、そういう考えを受け入れる隙間ができたこと。前進。うつの世界観は、出口のない地獄、この苦痛から一生逃げられないという感覚に陥る感じだが、それが何年何十年という単位の場合もあるが、あくまで一時的なことなんだと、この苦しみは一時的なことと思えるのはいい兆し。
見えてないもの見えるようになるには、今の立ち位置からではだめなんだ