【思考の種蒔き】愛と自己愛、エゴイズム、ナルシシズム
こんな時期に、敢えてこんな話をしてみる。
以前、“愛”に対するネガティブ感情が出てきて仕方なかった時期があった。
ある集団に属していた頃、
「私は皆と違う!!」という強い思いが頭をもたげて、堪らずその集団を脱けた。
「愛を、愛を」と声高に強調されるほど、私の心は猛反発した。
それは元々、私の心の課題(問題とは言わない)でももちろんあったのだけれど、最近になって、強い嫌悪感と恐れの理由が明確にわかった。
私の中に滞っていたのは、ある「想い」だった。正直に書いて吐き出したら、読んで自分でも驚くようなひどい「想い」を私は抱えていたのだった。簡単に表現すると、
『それは私に対して愛を与えているのではなく、自分に対する自己愛を私に押し付けているだけでしょう?!だからそれは愛じゃない。ふざけんな!!!!!』
こんな具合......本当はもっとあれやこれや主張があるのだが、どどーーーーーんと暗くて重いので割愛する。
なぜ私がこんな想いを抱えていたのか?
その原因は過去生にも今のこの人生においても思い当たることがあり、自分でわかっている。これは私の魂が乗り越えたい、解決したい、癒したい、私の“魂の課題”である。
愛とエゴイズム、ナルシシズム。
“愛”と“エゴ”は、時に似て見える。
けれど、似て非なるもの。別物である。
日本語の“自己愛”の原語は、
(最近はselfloveと説明したりするようだが)
英語narccisismとegoismであると認識している。
私が嫌悪していたのは“愛”ではなくて、
(愛に見せかけた)エゴイズムとナルシシズムだったのだ。私は、相手の“自己愛”エゴイズムやナルシシズムを押し付けられることに対して怒りを抱えていた。
「それは私のためじゃなく、自分のためだろう!」と、普段は埋もれた無意識の中で激怒していた自分に気がついたのだ。
それからは、自分に向けられる“愛”に対して、警戒心が薄れたかもしれない。
私が嫌悪していたのは“愛”ではなかったのだから、私はもう“愛”を怖れなくていいのだとわかった。それとともに、自分の心がなにに反応しなにを嫌がるのか?自分に対する理解も深まった。
それでもまだ、正直なところ、“愛”に対する怖れを完全に克服したとは言えないかもしれない。けれど心の中は、以前よりずっと落ち着いた気がしている。
Olivia
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