心の世界
言葉が刻まれる瞬間というのがあると思います
ふとした時に思い出し、立ち上がらせてくれる言葉との出会い
一生忘れることはないであろう、正しく「刻まれる」言葉
冒頭で書かせていただいたセリフ
この後のクライマックスにもいいセリフがあるのです
が、そこは割愛させていただくとして
「心に鞘はいらない」
心を塞ぐ物(鞘)があることにより、見たくないものを見なくていい
心とは自分が見たくないものさえ見せるものとも言える
ならば心を塞いだ状態で見る世界は「何」なのだろう?
塞いでも、塞がなくても「見える」この世界は「何」なのだろう?
私たちが見ているこの世界は「何」なのだろう?
私たちが見ている世界は自分の心を映しているのだろうか?
見たくないものは「現実」?
塞いだ状態で見えるものは「理想」?
それともこれも「現実」?
むしろ心という色眼鏡が
「見えているもの」に「意味づけ」をしようとするのか
「見えているもの」は、あくまで「見ているもの」に過ぎなくて
そこに何の意味もなく
自分が「意味」を持たせている
意味を持たせた結果が「見ているもの」だけど
結局それは「今」「見えているもの」だ
心が目の前の現実に意味を持たせているだけなら
変えるのは「現実」ではなく「心」
心は、色眼鏡は、自分の中にあるはず
自分なら簡単に変えられるはずだ
そんな気がする