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#眠れない夜に

ピリオド

ひょんなことで笑ってみせたり、突然悲しくなったりして、たまに感情というやつは非常に厄介なやつだと思う。喜怒哀楽に揺さぶられて、生きていくのはジェットコースターに乗っているみたいで、いつか乗り物酔いを起こしそうな気がする。 かといって、自分の感情に蓋をしたいわけでもなく、なるべく自分の意思を大切にしたい。ときには我慢を強いられる場合もあるけれど、それも人生と割り切れる強さがあったなら、少しは生きやすくなるのかもしれない。 時刻は2時を迎え、脳も体も疲れがピークに達している。

空の選び方

家族も寝静まり、玄関の鍵が祖父によって閉められて僕の1日は始まる。 連絡を取るのが特に苦手だ。 コミュニケーションは人よりも得意な部類だと 自負できるが、マメなLINEというものが本当に 苦手なのだ。 電話で基本的には済ませたいが、時刻が2:35 ともなると基本的に気を遣って誰とも話さない。 閉められていた鍵を開け、普段出かけるよりも 一枚多く服を着込みイヤホンをして外に出る。 12月の空はやけに遠くて星はイヤらしく光る。 10年前はふかしていたタバコ。 今は肺に染み込

リストカットは、かまってちゃんじゃない

わたしも昔、リストカットをしてた。 懐かしい思い出。 昨日、友達と電話してて、 その話になったので、その話を書いてみようかな……と。 リストカットもしたし、 手首を引っ掻いて、血が流れるという経験もしたことがある。 友達は、リストカットから、太ももに移動してた。 そして、 インターネットで 「リストカット」と検索すると、 「かまってちゃん」「アピール」 という見解もあるけど、 リアルにそれをしていて 今、卒業したわたしからすると 「うーーーん」と思うんだ。 生きてる

何年分の思い出よりも、心を動かす一瞬を

恋愛においても、仕事においても、それ以外においても、一瞬の尊さを実感する。 特に恋愛においては、残酷なほどに当てはまってしまうことが多い。 例えば好きな人と長年付き合ったとして、自分も、相手も、心を強く動かす出会いがあればその一瞬の前では、たくさんの思い出も塵になって消えていく。 思い出の多さや、築いてきた信頼関係は、確かにそこにあって、それが偽物なんてことは決してなくて、大事な人であることに変わりはなく、傷つけたくはないと思う優しさそれが同情だとしても愛の残り香だって

「あぁここが好きだった」とこぼれ落ちる時は大抵

「あぁ、ここが好きだった」とこぼれ落ちる時、そういう時は大抵、すでに少し遠くから、その人を見ている。 物理的にかもしれないし、心理的にかもしれない。一歩離れた時それに気付くような気がする。 そういう風に、好きなところ・好きだったところに気付く時、ちょっと寂しいけれど、自分で無意識の内に、少し遠くまできてしまっているのかもしれない。 「好きだなぁ」「好き!」「こういう所が好きなんだよなぁ」みたいな、そういう「好き」の“温度”とはすこし違う。 「 あぁ 」という、感嘆が出

冷めきったフライドポテトだって、制服を着ていればおいしかったんだ

年末が近づくと、友人からの連絡頻度が増えて心が少し沸き立つ。 もうじきやってくる仕事の繁忙期に向けて、同棲中の恋人と「今年も乗り越えておいしいもの食べよう」と笑ってグータッチを交わしたり、「年末はいつものメンバーで集まろう」という連絡に早打ちで「もちろん」と返したり、気が引き締まる思いだ。 それぞれバラバラのところに住む幼馴染がみんな一度に集まれるのは、お盆や忘年会くらいのもので、会うたびに成長した姿を見て自分も頑張ろうと思える。 同時に変わらない安心感と居心地の良さに

セフレと最寄駅。

先日友達とご飯に行った時、 待ち合わせの駅に30分はやく着いた。 待ち合わせの駅は 2年前まで関係があった セフレの最寄駅だった。 時間潰しに駅の周りを散歩して ああ、このコンビニ よく2人で行ったなあ。 はじめて2人で会ったのは この居酒屋だったなあ。 とか セフレとの日々を思い返してた。 最初に関係があったのは5年前位だろうか。 当時は社会人なりたてで はじめてセフレと言う 関係を持った。 5個年上の彼は まあ、女の扱いが上手で 今思うと完全に沼ってた

恋にも愛にも、余裕などあってたまるか

今の恋人と出会ったのは、私が酔って幼馴染に「今から遊びたい」と真夜中に電話したことがきっかけだった。なぜ真夜中にそんな連絡をしたかというと、当時の恋人とのことで傷心していたから。 私には保育園の頃からずっと一緒にいる幼馴染がいて、男5人、女3人(私を含む)くらいの割合。みんなそれぞれに個性が強くて、それもそのはず、私たち幼馴染の親もかなり個性が強い。そして家族ぐるみで仲が良い。そこに加えてみな酒豪。 その中でも、特に仲の良い幼馴染が男3人、女1人。みな互いを異性としてみて

かわいさの物量は、賢さや美しさをも凌駕する

『美』は神様に尋ねた。「神よ、何故わたしは『うつろいやすい』のですか?」 『神』は美に答えた。「美よ、わたしは、『うつろいやすい』ものを『美しく』したのだ…」 ◆ 二十歳を過ぎた頃、衝撃的な風の便りが三通も舞い込んできました。 一つ目は、みんなが大学生活を謳歌している時に、同級生が結婚したという話。短大を卒業して、二十歳そこそこで鮮やかにゴールイン。 進学校に通う誰もがキャリアを積むため大学に進学して、社会へと羽ばたこうとする中、何かを悟ったかのごとく花嫁になってしま

夏祭りの後、消えてしまいたいと思っていた私に。

どういうわけか「消えてしまいたい」と思ってしまう。「死にたい」じゃなくて「消えてしまいたい」。それは、現実でないどこかにいきたいというよりも、私という存在自体がぷつりと跡形もなく消えてしまう。そんなニュアンスに近い。 こんなことを思いついてしまうのは、私の身に何か嫌なことがあったからなのではと思う人もいるだろう。心配ありがとう。だが無い。全く無い。それどころか「消えてしまいたい」という感情は、ものすごく幸せだったり、楽しいことがあった後によく思う始末である。 本当、なんで

きっと小さな欲望が、 "生きる" を選ぶ理由になってる

「あなたはよく、"生きててよかった"とか、"生きてみたいと思えた"って表現を使うよね。それは、実際にそう思っているの?それとも、相手に強い印象を与える表現だから使っているの?」 先日、ある人に突然そんなことを聞かれて戸惑った。 自分が普段、そんなに「生きる」という言葉を頻繁に使っていたという事実も、「相手にとって強い印象が残る表現だから、あえてその言葉を選んでいるのかもしれない」と思われていたことも、全く予想外だったのだ。 前者に関しては、指摘されてからはじめて、「たし