「あぁここが好きだった」とこぼれ落ちる時は大抵
「あぁ、ここが好きだった」とこぼれ落ちる時、そういう時は大抵、すでに少し遠くから、その人を見ている。
物理的にかもしれないし、心理的にかもしれない。一歩離れた時それに気付くような気がする。
そういう風に、好きなところ・好きだったところに気付く時、ちょっと寂しいけれど、自分で無意識の内に、少し遠くまできてしまっているのかもしれない。
「好きだなぁ」「好き!」「こういう所が好きなんだよなぁ」みたいな、そういう「好き」の“温度”とはすこし違う。
「 あぁ 」という、感嘆が出る時。
「あぁここが好きなんだ。好きだった。」と思う時。
それは自分の中の何かが、ちょっとだけ終わりを迎えたとき。
すごく些細な、微妙なニュアンスだけれど、この感嘆詞にはすごくいっぱいの気持ちが詰まっている。
恋が終わった時。気持ちに区切りがついた時。終わった恋を振り返った時。突然、別れた恋人に会った時。どうしようもない別れを受け入れる時。心に決めてさよならをする時。
相手の発言や仕草に、「あぁ」と好きだった部分の片鱗を見る。気付くときがある。
『気付いてしまう』と言ったほうがいいのかもしれない。
この「あぁ」には、後悔や懐かしさ、冷静さとか、そう言ったものが含まれていて、気付いてしまった自分への、呆れやどうしようもなさもある。
でも反面、暖かいその人への気持ちとかも混じっていて、「あぁここが好きだった」というこの気持ちは、とても、とても不思議で罪深い。
急にこんな話をしたのは、
最近ドラマsilentを見ているから。
(毎回大号泣してる)
観ている人しかピンとこない話かもしれませんが、想(目黒蓮)と菜々(夏帆)のシーンがどれもとても好きです。
7話、想と菜々の図書館での描かれ方が、
まさにコレだと思って。
耳の聞こえない想が、子どもに話しかけられるシーンがあります。
その小さい男の子は、棚の上の方にある本をとって欲しそうに何か言っているけれど、聞こえないので何を言っているか分からなくて、想は困ってるんですね。
それを菜々は、少し離れてもどかしそうに見ていて。
そしたら、想がふと思いついたように、その小さい子を抱き上げるんです。
抱き上げて、一緒に棚の上の本をひとつずつ「これ?これ?」と指を差しながら聞いていくんですね。
男の子を抱き上げた想を見ている菜々の表情が、とても優しくて、ハッとしていて、
「あぁここが好きだった」という顔をしていました。
そうだった、という納得の顔。
何気ない行動を見て、「こういうことをできる彼だから好きになったんだ」という懐かしい表情をしていて、でも晴れやかで、何かもう終わったことのような清々しさも持ち合わせていました。
かつて、本当に好きだった人って、
実際また何かのタイミングで会ったり、やり取りをしたら、こういう「あぁ」と思うことって結構たくさんある。
戻りたいとか、また好きになる、とかそういうことではないけれど、気付くことはたくさんあるんですよね。
わたしも、散々思い出していた以前の好きだった人のこと、もう多分過去にできたので、
もし今どこかで出会って話すことがあったら
懐かしそうな、暖かい表情で
「あぁここが好きだった」と思えるはず。
そういう、全部昇華されたみたいな、暖かで晴れやかな表情が、できるといいな。