かわいさの物量は、賢さや美しさをも凌駕する
『美』は神様に尋ねた。「神よ、何故わたしは『うつろいやすい』のですか?」
『神』は美に答えた。「美よ、わたしは、『うつろいやすい』ものを『美しく』したのだ…」
◆
二十歳を過ぎた頃、衝撃的な風の便りが三通も舞い込んできました。
一つ目は、みんなが大学生活を謳歌している時に、同級生が結婚したという話。短大を卒業して、二十歳そこそこで鮮やかにゴールイン。
進学校に通う誰もがキャリアを積むため大学に進学して、社会へと羽ばたこうとする中、何かを悟ったかのごとく花嫁になってしまったのでした。
彼女は正直、美人とは言えない子でしたけれど、でも、可愛らしくて愛嬌のある子でした。
男子が「えぇ〜あの子、かわいいか?」と聞き返してくる様な感じの子。
彼女は、穏やかで優しくて気配りができて、コミュニケーション能力が高くて、人を傷付けないので、クラスメイトから好かれる子でした。
たぶん小中学校ではいじめられたことがあったのかも。だから彼女も自分の容姿についてはわかっていて、陰では努力してたんだと思います。
そんな彼女ですが、恐らくご両親もそれには気付いていて、ちゃんと手立ては打っていました。
周りのみんなが学力や部活やレッスンに親資金を投入してる最中、彼女だけは『かわいさ』に親資金を満振り。お小遣いの他にファッション予算があって、その使いっぷりやセンスの良さが別格。よく見ると服の素材や作りも違いました。
たぶん、美しさや若さには鮮度があるんだと思います。それ故に、最適な時期に最適な形で資金を投入し、かわいさを実装し、その物量とその素速さで、定められたミッションを鮮やかにクリアしたんだと思います。
(ああ、これは彼女の生存戦略なんだ…)
なんですかね…この無力感と敗北感。もちろんクラスメートですから嬉しさもあります。もちろん比べるものでは無いのだけれど。何も考えず、何も準備していなかった、自分の愚かさや無能さが際立ってしまって、馬鹿過ぎて哀しくなります。
わたしの目標ってなんだろう?わたしの目指しているゴールってなんだろう?わたしは間違えてる?もう結婚を意識する時期なの?そんなことを感じた、二十歳過ぎの6月の花嫁の吉報でした。
◆
二つ目は、小学校で同級生で、私が転校してしまって、高校に進学してから再会した子のお話。
高校で再会した彼女は、スポーツアスリートで、よく日に焼けた色黒で、明るくて笑顔のかわいい子でした。クラスメートの信頼も厚い感じ。
学業成績も超が付くくらいめちゃ優秀で、現役で名だたる大学や学部を総なめにしたのでした。彼女には行きたい学校があったみたいですけど、ご両親と先生方に説得されて超難関大学に進学。
そんな大学三年の夏。お友達の知らせから、彼女が亡くなったことを知りました。家族が彼女と連絡が取れなくなって、アパートに行ったところ亡くなっていたのだそうです。若年性の突然死。
あんなに笑顔が素敵で、トップクラスの才女の彼女が亡くなってしまうなんて…そしてそれが彼女の人生だなんて…とっても悲し過ぎます。ご両親の無念さを思うと…今でも涙が流れます。
◆
三つ目は、小学校の低学年の時に良く遊んでくれた、近所のお姉さんのお話。
そのお姉さんは、私の母のママ友の長女で正統派の美人。もちろんお母さんもキレイな方でした。
地元の大学を出て、地元の一流企業に就職して、ミスコンではグランプリ。夏祭りでは浴衣が似合うステキな女性としてスポットライトを浴びていました。そしてわたしの憧れの人でした。
ですが、彼女に病魔が襲います。白血病。今では白血病も治る病気になりましたけど、昔は不治の病。闘病の末、天国に召されました。
彼女のお葬式は、クラスメートや知人が多数集まり、花いっぱいのお別れの会だったそうです。
不幸な事や悲しい事は遠い国で起こっているものばかりと思っていたけど、身近でも起こる事なんだと気付いた時、やり切れない思いが溢れます。
人は全能そうに見えても、自分の生命の終わりを規定できない。本人が望んでもままならない。
自由に動けるうちが華、生きてるうちが華。
きっと、人生は儚く、美しいのかもしれません。
◆
古代ローマの詩篇に『Carpe diem.(その日を摘め)』という言葉があるとか。「今日という日の花を摘め」ということなのだそうですが、「今、この瞬間を楽しみなさい」とか「今という時を大切に使いなさい」という意味なのだそうです。
今を生きる。人生はその繰り返し。
仕事に生きるも良し、無駄に生きるも良し、刹那に生きるも良し、趣味に生きるも良し。
大切なのは生きるという意志、生きている瞬間。
全ては夢幻(ゆめまぼろし)。夢の中の自分が現実なのか…現実の方が夢なのか…本物の様な夢を見るにつけ、その境界線は曖昧の様な感じがします。
でも、人生は"胡蝶の夢"なのだとしても、バタフライエフェクトくらいは起こるんじゃないのって思っていた方が楽しいのかもしれません。
"生あるうちを楽しめ"
わたしの大好きな言葉です。後悔しても、悲観しても始まらない。人生は一度きり。明日だって、将来だって保証されない。命あっての人生。
もしかしたら、時間とか、若さとか、寿命とか…何かを失うことでしか、前に進めないのかもしれないけど、それでも前を向いて進むと決めたから、今のわたしがあるのかもしれません。
もうわたしは、これから枯れゆく花なのかもしれないけれど、若い人達には"命の続く限り、精一杯咲いて欲しい"と願う、今日この頃なのです。