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2020年9月の記事一覧
「書き続ける」は「生き続ける」の意思表示
毎日noteをはじめて、1ヶ月が経った。
正確には、1日だけ公開したつもりになっていて実はしていなかった、という日があって、25日目くらいで一度記録が途絶えてしまったのだけど、それに目を瞑ったら(noteはきちんと翌日からリセットされたけど…)、1ヶ月以上は続けられていることになる。
この1ヶ月を振り返ってみて、結論としては毎日noteをはじめてみてよかったと思っている。
はじめたことによる
わたしはずっと、秋の便りを待っていたい
「いつからが秋か、その季節のはじまりは自分で決めよう」みたいなことが書かれている文章を読んだ。
決してそれに反対するわけじゃないけれど、季節の変わり目は、自分で決めるんじゃなくて季節からの知らせを待って、それをちゃんと受け取って判断したい、と思った。
その文章では、暦にとらわれず、「何月になったら秋だ」と思うのではなく、「自分でこれをしたら秋のはじまり」というトリガーというか習慣みたいなものを
働くきみを、好きになれたら。
「一緒に仕事してみて、この人好きだなあって思える人って、大体相性がいいと思うんだよね。」
これは、わたしの友人がよく口にする言葉だ。
仕事をしているときに表れる性格や価値観、行動の数々は、普段の生活で表れるそれよりも、その人の本質や根本的な人柄をより強く表している気がする、と、彼女は言う。
普段はノリが良くて気さくで周りから人が集まってくるのに、仕事で部下が困っていても、手を差し伸べようとし
毎日note、ひとやすみ宣言。
つい先日「毎日noteをはじめてよかったこと」という
記事を書いたばかりで言いづらいのだけど、毎日noteを、しばらくお休みしようと思う。
理由としては、まず、当初の目的が達成されたから。
とはいえ、noteの更新自体をやめる、ということはない。毎日noteを40日間続けて、生活の中に文章を書くという習慣がほどよく組み込まれたから、はじめる前よりは更新の頻度も上がると思う。
ただ、これからは
捨てて、のびのび生きていく
最近、わたしは捨てることを覚えた。
物理的に物を捨てる「断捨離」もそうなのだけど、ここで言う「捨てるもの」とは、どちらかというと物ではなく「やること」という意味合いが強い。
今までわたしは、多趣味で飽き性で、気になったものには瞬時に飛びかかるけれど、すぐ他のことに目移りして、いろいろなことが常に同時進行している、という生き方をしてきた。
特に大学生の頃はそれが顕著で、「特技はマルチタスク」「
気づかれなくてもここにいて、何不自由なく生きている
「岡崎、会社やめてたの?」
これは今日、前に働いていた会社の同期からきたLINEのメッセージだ。
珍しい人から連絡がきている、と思ってトーク画面を開いたら、内容がこれだった。
最初は冗談かと思った。
疲れて見間違えたかなと思い、何度か目を瞬いてみたけれど、何度読んでもメッセージの内容が変わることはなかった。
いやいや、ちょっと待った。
わたしが前の会社を辞めたのはもう3月上旬のことだし、
父とデパート、ご褒美のフルーツジュース
久しぶりにお母さんと妹と、新宿高島屋に行った。
エスカレーターに3人で並んで立っているのが横の鏡に映し出されたとき、そういえば、家族とデパートに来るのは小学生以来かもしれない、と気づいた。
そして、あのご褒美のフルーツジュースのことを思い出していた。
まだ小学生の低学年くらいだった頃、わたしは家族でよくデーパートに来ていた。
特に、年末は家族全員でクリスマスムードが漂う高島屋に足を運んで、
優先順位は5番目で、Instagram再開します。
Instagramの更新を、再開することにした。
自粛期間中に一度再開したのだけど、5回くらい写真をアップした後、気づいたら、すっかり更新が途絶えていた。
学生の頃はほぼ毎日更新を続けていて、友人たちにわたしの印象を聞くと「Instagramに食べ物ばかりアップしている人」と言われるくらい、朝から晩まで常にInstagramの世界にいた。
けれど、フォロワー数が増えるに連れて少しずつ更新に義