父とデパート、ご褒美のフルーツジュース
久しぶりにお母さんと妹と、新宿高島屋に行った。
エスカレーターに3人で並んで立っているのが横の鏡に映し出されたとき、そういえば、家族とデパートに来るのは小学生以来かもしれない、と気づいた。
そして、あのご褒美のフルーツジュースのことを思い出していた。
まだ小学生の低学年くらいだった頃、わたしは家族でよくデーパートに来ていた。
特に、年末は家族全員でクリスマスムードが漂う高島屋に足を運んで、ツリーの飾り付けや、来年のスケジュール帳を買いに来るのが毎年の恒例行事だった。
それ以外にも、小さい頃はやたらとお父さんの買い物のために、デパートに付き合うことが多かったような気がする。
10回のうちの1回くらいは、わたしたち姉妹も洋服やおもちゃを買ってもらえることはあったかもしれないけれど、記憶に残っているのは、いつも体感3時間くらいの、お父さんの洋服や靴選びに付き合っている光景だ。
うちの家族は昔から、お父さんが絶対的な存在だったので、お父さんがどこかに行く、と決めたら、誰かひとりがお留守番をしたり、ほかの予定を入れたりするなんてことは、一切許されなかった。
だから仕方なく、毎回その長い長い買い物に付き合っていたのだけど、それでもわたしが反抗せずに付き合っていられたのは、あの「ご褒美」があったからだ。
買い物に付き合った後、必ずお父さんの口からは、「何か冷たいものでも買っていく?」という言葉が出てきた。この言葉を聞くと、待ってました、とばかりに目を輝かせて「行く!」と言っていたのを、今でもたまに食卓で持ち出されては笑われている。
お父さんのこの言葉は、わたしには魔法の言葉のように聞こえていた。
お父さんが「冷たいもの」と言ったら、それはその辺の自販機のジュースなんかではなくって、大抵デパートの途中階くらいにあるジェラート屋さんのジェラートだったり、デパ地下の搾りたてフルーツジュースだったりした。
あの頃はそれらがどうしても欲しくて、お父さんの長い長い買い物に、くたびれるまで付き合うことができたのだ。
数時間歩き疲れた身体にひんやりと染み渡るジェラートの滑らかさ、くだものがギュッと凝縮されたフレッシュなフルーツジュースの甘さがたまらなくて、わたしはそこで、毎回すっかり機嫌を取り直していた。
今となってはジェラートもフルーツジュースも、自分で稼いだお金で、比較的簡単に手に入るようになった。
だけど今、自分で買うジェラートやフルーツジュースは、特別ほしいとも、おいしいとも感じられないから不思議だ。
きっとあれは、たまにしかできない家族全員でのおでかけの最後の締めくくり、という意味合が強くて、わたしにとっては非日常のご褒美だったからなんだろうなあと思う。
いつかまたお父さんと一緒にデパートに買い物に行く日が来たら、そのときは、デパートの最上階で、そのときよりもちょっといいものを食べたりするのだろうか。
それはそれで、もしかしたら特別な味がするのかもしれない。
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