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「⚪︎⚪︎に似てる」と言われるのが嫌いだ
毎年かならず1回は「増田さんって⚪︎⚪︎に似てますよね」と言われる。こないだも言われた。
そのときの「⚪︎⚪︎」は芸能人であったり、発言者の知り合いであったりする。3次元のときもあるし、2次元のときもある。
人の多い街に行って「⚪︎⚪︎さんですか?」と声をかけられたこともあった。(私は「違います」、ではなく「誰ですか?」と言った)
正直にいうと、私は「⚪︎⚪︎に似てる」と言われるのが嫌いだ。
節約のコツは我慢より満足
この季節になると、ファッション雑誌はたいてい「ベーシック」というテーマを特集する。
ほかには「チープシック」とか、場合によっては「ノームコア」という言葉も使われる。
たぶん、4月からの新生活に向けて「暮らしを整える道具」を提案しているのだろう。
新しいものに買い換えるのではなく、今あるものを使い続けよう・・・というライフスタイルは魅力的だ。私はそういうのが大好きだ。
なのに、季節の変わり目
私はきっと、全く同じものを買うだろう。
スライ&ザファミリーストーンというバンドの曲に、runnin' awayという曲がある。
そこでは、逃げることに必死で、👟がすっかりすり減っているよ、という意味のことがうたわれる。
wear outという耳慣れないフレーズだ。
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私たちは何から逃げているのだろうか。
時間に「追われる」という表現もある。誰がどっちに運動したら、時間は私達を追うのか。
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ビルケンシュトックのサンダ
失われた「ふつう」を求めて
変なものや変なことであっても「いい変」ならそれは楽しいことだし、それを言っても言われてもいいと思う。指摘してはいけないのは「悪い変」ではないだろうか。
今見るとふつう例えばクロックスは、昔は変な履き物だったが今見るとふつうだ。電車に乗ったときに乗客の全員がスマホを見ているなんてことも、最初はすごく変なことのように感じたが、今ではむしろスマホ以外のことで時間を潰している人の方が珍しい。
そういう
ふつうの格好を追及するとふつうじゃなくなる
ふつうの格好がいちばんかっこいいんじゃいかと考えてよくある定番アイテムを揃えたりしたら、それはそれで個性的なスタイルが出来上がってしまう。
「これだ!」というブレない格好を目指すよりは、状況や流行によってコロコロ主義、主張を変えてしまうほうがむしろ芯があるのではないかと思う。
他者との差異若いころは他人と同じアイテムを持つことが怖かった。
いろいろな本や雑誌を読んだりした結果、それは「どこに