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ふつうの格好を追及するとふつうじゃなくなる
ふつうの格好がいちばんかっこいいんじゃいかと考えてよくある定番アイテムを揃えたりしたら、それはそれで個性的なスタイルが出来上がってしまう。
「これだ!」というブレない格好を目指すよりは、状況や流行によってコロコロ主義、主張を変えてしまうほうがむしろ芯があるのではないかと思う。
他者との差異
若いころは他人と同じアイテムを持つことが怖かった。
いろいろな本や雑誌を読んだりした結果、それは「どこに属しているか」を気にしていたからだと学んだ。
興味深いのは、アメリカ人の書いた本や、イギリス人の書いたブログも同じような内容だったことである。
私はてっきり日本人は他人の目を気にした格好をしていて、欧米人は他人の目を気にせず、自分自身を大切にした格好をしているなんて思っていたけれど、そうでもないらしい。
青いジーンズを履いてるとこう思われるとか、ジャージの線が2本なのか3本なのかを子供が気にするとか、家族向けのミニバンに乗ってるのはダサいと思われるとか.....どこの国も一緒だった。
自分らしさは服装に現れるか?
かつて私は他人とおなじ格好をするのがいやだった。
とくにスニーカーは厳選した。値段や長持ちを気にするとほぼ誰かと同じものになるからである。電車に乗って、いろんな人を靴を見てみるとよくわかる。
しかし、今はむしろ他の人とおなじようなアイテムを持つようになった。お気に入りはAdidasの例のジャージだ。腕に3本線が入っているやつ。
私は、服装によってその人の内面は現れないと思う。
ポップアートの巨匠アンディ・ウォーホルが面白いことを言っている。
「個性についてやたら語る人が、実はちょっとでも周囲から逸脱することを一番嫌っていたりする」
いい言葉だ。
ふつうを追及するとふつうではなくなる
noteにはミニマリストのブロガーも多い。しかしミニマリスト的な服装はけっして普通の服装ではない。
なぜならTPOによって普通の基準は変わるからだ。
仕事とプライベート、という基準でも変わるし、プライベートな時間のなかにも、どこへ行くか、何をするかによって「ふつう」の基準がぜんぜんちがう。
スーツひとつとっても、夏服にネクタイをしているのが変になってしまった。反対に、男が日傘をするのはこれから変じゃなくなるだろう。
でもそれが醍醐味だと思う。
いろんな格好をしよう
いま私は、パーティのときはルパン三世みたいな緑色のジャケットを着るし、職場の会議のときは髪を短く切って黒縁メガネをかける。
サコッシュやキャンバス生地のリュック、トートバッグやエコバッグを使い分ける。
若いころは、就活に合わせてふつうになる人をダサいと思っていた。いつもブレない格好をしている人をカッコいいと思っていた。
でも今は、どこにでも溶け込む格好ができる人をカッコいいと思う。
初対面の人が、私がどんな格好をしていたか忘れるようなスタイルが理想だ。