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本能寺の変1582 【 重史 018 】 天正十年六月二日、明智光秀が織田信長を討った。その時、秀吉は備中高松で毛利と対峙、徳川家康は堺から京都へ向かっていた。甲斐の武田は消滅した。日本は戦国時代、世界は大航海時代。時は今。歴史の謎。その原因・動機を究明する。『光秀記』

【 重史 018】「武家事紀」

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→【シリーズ】信長の甲斐侵攻 光秀と長宗我部元親 
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【 人物 】 
*加筆修正 

【 重史 018】 ◎第115話 ◎小115

我ながら驚き入る計りに候、          「武家事紀」

 信長は、松井友閑へ戦勝を伝えた (①~⑪) 。

 ①穴山梅雪は、内通していた。

  此の表のこと、最前、穴山、忠節を抽んずべきの条、朱印をなし、
  信長、信州に至って出馬の刻(きざみ)、色を立つべきの由、
  路次・日限を相計り、堅く申し聞かすところ、
  早々、風聞せしめ、穴山足弱(あしよわ=女・子供・ろうじん)等、
  甲斐府中より、彼等が館へ引き越し候ひき、

 ②勝頼の首。

  四郎、諏訪に居陣せしめ候間、則ち、甲州の構へ引き退き候、
  其外、彼の国の者ども、我も々々と忠節すべきの覚悟に付きて、
  右の構にも相堪えず、山中へ北(にげ)隠れ候を、
  小山田以下心を合せ、
  滝川左近人数をも、去る十一日四郎父子を討ち捕り、首到来候、

 ③典厩信豊の首。

  典厩の事、西上野近辺の小諸城に楯籠り候、
  是も出羽守忠節として、切り首到来、其首を飯田城に懸け置き候間、
  飛脚見候て物語るべく候、

 ④仁科信盛の首。

  四郎の弟仁科五郎も高遠城相抱え候を打ち果し、是も首到来候、

 ⑤歴々の者ども。

  甲州の歴々の者ども、大略首を刎ね候、
  又、降人に出で候族(やから)、数知らず候、
  是は、生害させ候者、数多く候、
  自然、助け置く輩(ともがら)も之れあるべし、

 ⑥土岐頼芸他。

  亦(また)、尾濃の浪人、土岐美濃守を始め、岩倉・犬山等、
  小屋に蟄居候、
  是は、それ々々に、相計(はから)い候、

  佐々木承禎の子次郎并(ならび)に若狭の武田五郎、
  是も小屋に蟄居候を、搦め取り、腹を切らせ候、

 ⑦我ながら驚き入る計りに候。

  北は越後境、東はうすいが峠・川中島等、信州中に一所も残らず、
  侘言せしめ、落着候、

  西上野、同前に候、

  此の如く、卅日・四十日際(きわ)に、一偏に属するの事、
  我ながら驚き入る計りに候、
          (「武家事紀」「織田信長文書の研究」①~⑦/⑪)
                           →【 重史 019】

 【引用】◎第74話 ◎第115話



 ⇒ 次へつづく


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