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メタバースでのバリアフリー
疑似現実と仮想現実
疑似現実は本物のコピーで仮想現実は想像の世界。
たまに鉛筆で書いた写真みたいな絵とか見るけど、それって写真でいいんじゃないかなって思う。
せっかくなら現実ではありえない景色なのにまるで写真みたいな方が価値があると思う。現実とは違うから意味があるんじゃない。
現実世界では、元のバリアだらけの状態から少しずつバリアフリー化してきたから、実用性に乏しいものも多い。
これからデザ
これからの医療従事者に必要なスキルを考察する
近い将来、診断はAIがするようになるらしい。圧倒的なデータ分析で症状から考えられる疾患を割り出して、薬も処方してくれる。
そうなると医師をはじめとした医療従事者の役割はどうなるのか。
病気のことがちゃんと伝わっていない
生活期のリハビリテーション現場で感じることは、利用者も家族も自分の疾患の事や予後について全然知らないということ。
片麻痺も認知症もパーキンソン病も、運動をすれば良くなると思
量ではなく質をデータ化するテクノロジー
加齢や疾患で歩行に問題が生じた時に、歩いている様子をカメラで撮ると、AIがその人の現時点での最適な歩行を再現した動画を作成してくれる。
さらにどこの筋をどのタイミングで程度使って歩いているのかが表示される。それも再現された最適な歩行と比較ができる。
そうすることで、より具体的に歩行練習でのアドバイスが可能となり、体に負担の少ない現状で最適な歩行を目指すことができる。
みたいな技術はもう間もな
「多様性を受け入れる」というインクルーシブ社会へ
落合氏は「障がい」を「身体の多様性」と呼ぶようにしているとのこと。
上記の引用部分を読んで、「障がい者が障害受容をするには、社会が障がいを受容することが不可欠」というこの論文と同じ議論だと思った。
自分も今までは障がい者本人に対して、障害受容を含めてリハビリテーションアプローチを行ってきた。最近になってリハビリテーション思考を社会に広めて、障がい者が住みやすい社会にするソーシャルイノベーション
仮想現実での未来体験が介護予防になる
若いうちから老後の事を考えた方が良い。
そりゃそうだけど、普通は考えられないですよね。
山登り、ゴルフ、マラソン、自転車、旅行、ドライブ・・・
多趣味なのはいいけど、歳をとったりなんらかの病気になったらどれも満足に出来なくなる可能性が高い。
だから若いうちに、机上の趣味も作っておいた方がよいと最近思う。
仮想現実で自分の未来を体験してみる
運動をした方がいいとか、お酒を控えた方がいいとか、
医療従事者の「もう少し良くなります」とクライアントの「良くなる」の感覚の違い
例えば脳梗塞片麻痺の場合、回復は6ケ月がプラトーと言われている。例外はあれど、一般的には6ケ月を過ぎると著しい回復はなかなか見込めないのが現実。
すでに発症から数年経っているクライアントにPTやOTが「もう少し良くなると思いますよ」と伝える事って良くある。
この時の”もう少し良くなる”というのは、『硬くなった足首の関節が、ストレッチを継続することで数センチ可動域が広がり、今よりも若干動かしやす
難病患者を救うのはIPSだけじゃない、テクノロジーでの自立支援にも期待しよう
リハビリテーションの本来の意味は「再び適した状態になる」です。
つまり「社会復帰のための最適化」
先日リハビリテーション会議で、難病の利用者が「IPS細胞で病気が治せるようになるまでは、何としても生きたい」と仰っていた。
ほとんどのADLが一人では行えない状態。家族が何とか介護をしてる。
家族は「もちろん本人の希望を叶えられるように頑張りたいと思うけど、現実を考えるとこのままでは難しい・・・」
テクノロジーは障がい者を救えるが、障がい者を生み出す可能性もある
段差とか階段とか見つけやすいバリアの他にスピードのバリアがある
信号付きの横断歩道は制限時間内に渡りきらなければならないし
エスカレーターは完全にあっちのペースで乗り降りしなければならない
社会のスピードに合わないことによる障がいは結構ある
それも新しいテクノロジーで解決できる未来はすぐにやってくると思う
でも、そこにまた一つスピードの障がいが生まれる
テクノロジーは日進月歩だが
人の気持
日中の風呂屋を介護事業に活用できたらいいよね。
以前ラウンジ特化型デイサービスを作ったらいいよねって記事を書いた。かっこつけて一日を優雅に過ごすことに特化したデイサービス。
さらにカフェが併設されてるから老人施設感はゼロ。カフェの店員の若い子たちとも仲良くなった。
そんな素敵なデイサービスを構想していると、通所サービスの利用で高いニーズのある入浴はどうする?ってことになる。
お風呂を作るとなると、スペースや金銭面となにかと大変だ。
餅は餅屋
健常者は便利なものを使いたがるのに、障がい者は使いたがらない
健常者ほどなるべく体を使わずに楽をしようとする
階段じゃなくてエスカレーターを選んだり
ちょっとそこまで電動キックボード使ってみたり
障がい者ほど自分の体でやりたがる
車いすより杖、杖よりフリーハンド
電動車いすは使いたくないとか
ぜったいにそっちの方が安全で楽なのに
リスクがあろうと大変だろうと時間がかかとうと
自分の体を使うことにこだわる
使っていないと機能が落ちるかもしれない不安もある
ケアが余計なお節介にならないように
「困っていそうだから手伝ってあげなきゃ」ってするケアは必要ない。
だってそれは自分目線のケアです。大きなお世話です。
大事なのは「される側」目線。
「される側」どう思っているのか聞いてみると
ほとんどの方が「一人でやりたい」と思ってる
時間がかかっても、上手くできなくても
とにかく自分でやりたいと思っている
手伝って欲しくない
人の手を煩わせたくない
だから必要なところだけを介護することが大
必要なのは一周回って第三者。介護業界で働くための寄り添い術。
「落合陽一34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長」を読んでの感想その2。
序章が養老孟司氏との対談になってるんだけど、その中で『介護はきわめて「二人称」的』という話があった。
それは介護の外側の感覚だと僕は思った。
介護される人を「一人称」とすると
自分と親しい人を介護するは「二人称」
赤の他人を介護するが「三人称」
だとしたら、プロの介護はどれか。
僕は、「一人称」をしっ