必要なのは一周回って第三者。介護業界で働くための寄り添い術。
「落合陽一34歳、「老い」と向き合う 超高齢社会における新しい成長」を読んでの感想その2。
序章が養老孟司氏との対談になってるんだけど、その中で『介護はきわめて「二人称」的』という話があった。
それは介護の外側の感覚だと僕は思った。
介護される人を「一人称」とすると
自分と親しい人を介護するは「二人称」
赤の他人を介護するが「三人称」
だとしたら、プロの介護はどれか。
僕は、「一人称」をしっかり想像できる「二人称」的関係性を持った「三人称」だと思うんです。
介護士に専門性について聞くと「寄り添うこと」って答えが返ってくることが多い。
大切なのはどのレベルで寄り添ってるかを意識できているか。
「二人称」で止まっていたらプロではない。
介護職に多いのは「自分がしてあげたいからするケア」
ケアマネに多いのは「本人や家族の思いに流されすぎるケア」
のように感じることが多い気がします。
プロの寄り添いとは
まずは当事者の気持ちを想像して、言葉の意味を読み取って、自分と置き換えて、もし自分だとしたらって考えられること。これが「一人称」的な寄り添い。
次にちゃんと理解して共感できること。これが「二人称」的な寄り添い。
プロとして目指したい究極の寄り添いは、状況を客観的に把握して、誰の思いにも偏ることなく、ロジカルに考えて一番いいケアを提案できること、または選択肢を提示することができること。これが「第三者」的でありながら「一人称」も「二人称」も含む究極の寄り添い。一周回って「第三者」的な寄り添いこそプロが提供するケアではないかと思うのです。
最後に大切なのは、決めるのは当事者本人であるということ。
周りが勝手に決めつけてはいけない。
リハビリ職は対象者の希望を中心にロジカルに考えることを学生のうちからトレーニングしてきている。だから割と「第三者」的に考えやすいと思う。それでも経験が浅いと「二人称」的になってしまうこともある。
ケアでもリハでも「二人称」的で仕事をしていたら重すぎる。
タイムカードで退勤を押したら忘れちゃうくらいの「第三者」的感覚もプロとして必要なスキルだと思うよ。