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柔らかい毒

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#多様性を考える

仲間意識って厄介だよな。守り合っているようで、お互いのプライドが邪魔している。
互いを縛る仲間意識なんて、まがい物でしかないんじゃないか。
本当の信頼関係があれば、本音を言っても辛口な言葉を言っても、友人関係は続く。
互いに本物の自信があれば。

馬鹿は馬鹿ゆえに、現実を直視できない。目の前にあっても事実を理解できない。
事実と真実は違うのに。

個人的な意見て言うけど、どこか大きなところに所属していなければ、意見って個人のものじゃん。どうしてわざわざ個人のって言わなきゃいけないの?変だよ。

誰かが辛いことや、悲しみを打ち明けたとき、守りに入る人は、痴漢や性暴力を見てみにする人や、否定する人に似ている。
ただ共感すればいいだけ。簡単なことだよ。

低気圧が近づくと目が回る。思考がまとまらなくなる。無駄に元気な人がうらやましい。
頭の一部の回転が早すぎると、他の部分がついていかなくて困るのだ。皆がバランスよく頭が良いわけではない。それでも馬鹿ではなくてよかった。まだまだ自分がものを知らないと、思えてよかった。

最初は便利な道具でも、いつか武器として使用されるようになる。人権やマイノリティー性、弱者性も同じ。客体化される危険はいつでもある。

自分のことをいっぱしの人間、人かどの人間と思って生きている人は、馬鹿だ。
自分の愚かさに気づかない人、謙虚なふりをしている人は、傲慢だ。

多様性は、他人の価値観と自分の価値観がぶつかり合わないところで初めて成立する。
だから難しい。

多様性?

多様性?

違いを認めるとか、多様性とかって言うけど、見た目だけじゃなく、生き方や感じ方、感覚など、自分にはわかりづらいことの違いを認めることでもあるんだよな。

多様性なんて言葉を使わなくても、十人十色だとか、適材適所って言う言葉が昔から日本にはあった。
春に咲く桜も、真冬に咲く椿も、同じ花だ。
線香花火も、打ち上げ花火も同じ花火だ。

金子みすずも、「みんな違ってみんな良いと言っている」。
それでいいじゃ

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どんなに良いことでも、相手が迷惑に思ったら、それは押し付けでしかないんだよ。
いいことだからって、相手のNOを聞くことができなければ、単なる押し付け、強要になってしまう。
それだと本来の意味失うよね。

多様性と言いながら、新しい属性を増やし、今まで存在しなかったラベルを貼って個人性を失わせるの、多様性とは真逆で笑っちゃう笑

自分が毎日使っている言葉が、他の人にとっては日常語じゃないってことって結構ある。
自分の普通や正義と、他の人のそれが異なることもある。
そういうことを、頭ごなしに否定しないで、1度は聞いてみようよ。
違いを認めることが多様性。正義や価値看護統一することじゃない。