アルレッキーノ、タッチストーンそしてジョーカー 斜に構えるスタンスも私のパートナー その2.42 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
王道を歩むことが人生の軸です。その上で対極にある斜に構えるスタンスも恣意的に取ることは忘れません。
そのスタンスの典型に1つである、道化師として芸術作品で扱われる役回り。
その1では、
良い年をして、最近になってこのnoteのプラットフォームの中のアルレッキーノさんの作品に触れる機会があり、正にnoteさんがご縁でアルレッキーノを意識するようになり、リファレンスとしてアルレッキーノ (Arlecchino)をこれから少しずつ勉強していこうと思っています。
というお話でした。
その2.1では、アルレッキーノに次いでタッチストーンを。王道を歩むことを柱に構成されている私の頭の中の仮想パートナーとして、斜に構えるスタンスのメインのリファレンスロールモデル。
NHK教育テレビの市民大学講座で小田島雄志先生のシェイクスピアの作品の解釈を通じて、異なった目線で物事を見ているタッチストーンの重要さを知り、私の心の深い場所にシェイクスピアの作品は鎮座したというお話でした。
その2.2は網羅性あるBBCのシェークスピア劇場を小田島雄志先生の市民大学講座テキストを座右に置き、当時最新の業務用技術を搭載したソニーのベータマックスビデオデッキを無理して買って、そのジョグダイヤルという業務用機器に使われる機能を駆使して気に入った場面や深く理解したい場面を繰り返し再生し鑑賞したというお話でした。
受験勉強から解放されパッと道が開けた時に主役だけではなく、むしろ脇役に重要なメッセージ性を持たせている作品、お気に召すままのタッチストーンがシンボリックな形で私の心に入って来たというお話でもありました。
その2.3は、
いつかは現地のグローブ座で観劇してみたいなぁ…
というぼんやりした思いを、タッチストーンを心のパートナーとして持ち続け、技術者から海外畑セールス&マーケティングに身を振ってと、20年近く掛けてそれを現実にしたというお話でした。
理系の私が、古語の英語で観劇を楽しむ、道化のタッチストーンがくれた人生の多面的な見方がこんな形で私の人生に彩りを与えてくれたという…
その2.41は、話の焦点がボケるのでタッチストーンの話の流れに入れ込めなかったポイント1つ目、
[ジェイクイズの扱い]
のご紹介でした。
お気に召すままでシェイクスピアをして
「この世は舞台」
という名台詞を言わしめたジェイクイズですが、タッチストーンの方がよりインパクトが私には有ったというお話。(ここは全くの私の個人的印象です。)
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今回は、話の焦点がボケるのでタッチストーンの話の流れに入れ込めなかったポイント2つ目のご紹介です。
[刹那的という言葉とタッチストーン]
とても違和感があった刹那的という言葉について。
社会人になってその真意がわかったのですが…
今思えば、タッチストーンの生き様に触れたことで、そのブレイクスルーの糸口を見出していたのだと今回の執筆で感じたのでした。
まぁ、初等教育では刹那的な行動は強く抑制されているので、とても素直な私は(笑)それをそのまま引きずって最高学府たる大学にまで進んでしまっていたようです。
いい歳をして元々は肯定的な言葉ということすら本稿の事前調査で知った位、それでも避けていた言葉なのです。初等教育で相当深いところに刷り込まれてしまった感覚が、語感が抜けないのか…
その事前調査の過程で比較的まとまった良質の資料が有りましたのでご紹介しますね。「刹那」の意味や語源から始まって刹那的・刹那主義の使い方や言い換えられる類義語も紹介されていますのでまぁ、ご存じの方は網羅的な復習ということで…
思えば高校時代の数学で
微分=難しいことは細かく分けて問題を易しくして解決する
積分=細かく分けて問題を易しくして解決し続ければ難しいことも解決できる
ということだと理解したことに通じると…
(できればこの感じは文系の方と共有したいのです。
物理屋から見た数学ってこんなザックリした感じなんですが…)
(ここからはウザかったら読み飛ばして下さいませ)
その瞬間だけを充実させて生きることをf(t)とすればそれを生まれた時刻から今の時刻まで時間で積分すれば
∫f(t)dt
(定積分の表記ができないので不定積分の表記です(笑))
その意味ではdtとは刹那ということなのでしょうね。
一瞬一瞬を大切に生きなさい、一瞬一瞬が大切ということになりますからね。
(此処まで読み飛ばしてね\(^o^)/)
今、会社員としての現役から退いて自分の時間を持てるようになったのですが、受験という縛りから解放された大学生時代もまた小学生時代以来の自分の時間を持てるようになった素敵な時期だったと思っています。だからこそ感じ取れたシェイクスピア、タッチストーンの味のある表現。
昨年の秋前の約1年間は大晦日と元旦の2日を除き朝の8時から夜の19時までは最低でも時間拘束されて休みが無く働いた事が夢のよう…という今。その意味では受験生時、海外駐在時や半導体量産工場立ち上げ時、そしてサラリーマンの成れの果てになった8年間もそうでした。
今回は歳を取ってしまったからか、疲労が深く心の回復に1年を要してしまっているのですが…
だからこそ今感じ取れたシェイクスピア、タッチストーンの私の人生のパートナーとしての役割、影響。刹那ということを深く再考するキッカケが斜に構えるスタンスから生まれて来たという印象です。
今ゆったりとした時間の流れの中でnoteを通じて(その仕組みを利用させて頂いてかなぁ)自分の人生を楽しみながら、時に斜に構える(笑)こともしながら振り返っています。
https://note.com/lincoln246
つづく
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