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黒田研二
2022年9月30日 06:55
第7章 秒刻みの犯罪(16)4「屋敷の中を探検してみようか」 日向に肩を叩かれ、我に返る。いつの間にか、あたりはすっかり夜の様相を呈し始めていた。時計を見ると午後七時。三時間近く、ぼおっと湖を眺めていたことになる。その間、私たちはひとことも会話を交わしていなかった。「考えごとをしていたら、いつの間にかこんな時間になっちゃったな。ちょっと屋敷の中を覗いて、それから帰ることにしよう」 立ち上
2022年9月29日 05:40
第7章 秒刻みの犯罪(15)3(承前)「最初から?」「ああ。栗山君は別荘で水着に着替え、そのままの姿で櫻澤邸へ向かった。これなら服のことなど、まったく心配する必要はないだろう?」「裸で櫻澤邸へ? 森の中へ入れば人目はなくなってしまうからいいでしょうけど、別荘から森にいたる道には、大勢の観光客がいたんですよ。水着一枚で歩いたら、目立って仕方がなかったはずです」「ところがそうでもないんだ。あ
2022年9月28日 07:04
第7章 秒刻みの犯罪(14)3(承前) 日向の攻撃は続く。「バードウォッチングをしていた男性がね、何者かが湖に飛び込む決定的瞬間を、たまたまデジタルカメラにおさめているんだよ。撮影時刻は午後四時三十三分。デジカメに内蔵された時計は一秒の狂いもなかったそうだから、この時刻に間違いはない」 日向はマップの一点(※印)を指し示し、「ここから撮影したそうだよ」と説明した。鉄門のすぐそばだ。そういえ
2022年9月27日 07:59
第7章 秒刻みの犯罪(13)3(承前)「すまない。これを持っていてもらえるかな」 ポケットから取り出したのは、赤のボールペンと美神湖のガイドマップだった。彼は私にボールペンを手渡すと、膝の上にガイドマップを乗せ、丁寧にしわを伸ばし始めた。「いいかい? 今僕たちがいる場所は、地図のこのあたりだ」 そういって、日向はどこから取り出したのか、古ぼけた万年筆でマップに×印をつける。「そして、栗
2022年9月26日 08:11
第7章 秒刻みの犯罪(12)3(承前) 結局、森の中を通って櫻澤邸まで歩くと、五十分以上を費やすことが判明した。途中休憩した五分を差し引いても、ハイキングコースの入り口付近から櫻澤邸まで四十五分はかかることになる。 櫻澤邸に到着したときには、二人ともくたくたに疲れ果てていた。しかも木の枝に何度もひっかかれ、私の腕はミミズ腫れだらけだ。 櫻澤邸前の頑丈な鉄門は閉ざされていたが、森を通り抜けて
2022年9月25日 07:22
第7章 秒刻みの犯罪(11)3(承前)「自然と戯れるのもほどほどにしておかないとな。星の美しさに夢中になったあるロマンチストは、いつも上ばかり見て歩いていたために、井戸に落ちて死んでしまったそうだ。君もそうならないように、気をつけないと」「私はそこまでドジじゃありません」「さあ、どうだか」 私は、草むらの中から拾い上げた片方だけしか存在しない真っ赤なサンダルを日向の前に突き出し、「ドジ
2022年9月24日 23:08
第7章 秒刻みの犯罪(10)3 展望レストランの前で立ち止まった日向は、おもむろに振り返り、私に戸惑いの表情を向けた。「やっぱり、僕一人で行くよ。森の中はどうなっているかわからない。あまりにも危険すぎるからね」「私は平気です」 半ばムキになりながらそう答えると、彼は口をとがらせた。「じゃあ、はっきりいうよ。春山君は女の子だ。当然、足取りも遅い。君と一緒に歩いたら、正しい時間が計測できな
2022年9月23日 07:19
第7章 秒刻みの犯罪(9)2(承前)「あり得ません」 即座に、日向の言葉を否定する。「あの日のレイクサイドロードは、大勢の釣り客でにぎわっていたんですよ。展望レストランを出て、そのまままっすぐ櫻澤邸へ向かったのであれば、誰かがその姿を目撃したはずです。でも、亮太を見たという証言はまったくない。レイクサイドロードは、車一台がようやく通り抜けられるほどの広さしかないんですよ。それなのに目撃者が
2022年9月22日 07:34
第7章 秒刻みの犯罪(8)2(承前) ロールパンのような形をした雲が、真っ青な空の中央をゆっくりと移動していく。しばらく歩くと、森から鳥の美しいさえずりが聞こえてきた。 のどかだ。先週の騒々しい出来事が、遠い昔のことのように思えてくる。こんなにも早く、あの忌まわしい事件を記憶の片隅に追いやれたのラッキーだった。亮太みたいに、いつまでも過去に苦しめられたくはない。 レイクサイドロードを半分ほ
2022年9月21日 08:38
第7章 秒刻みの犯罪(7)2(承前)「私、櫻澤が憎かった。亮太の、『あいつさえいなければ、昔みたいに泳げるようになるのに』という言葉を聞いて、真剣に櫻澤の死を願いました。そう……警察はひょっとしたら、私を一番疑っているのかもしれません」 列車が急ブレーキをかけたため、私たちはそろって前のめりの体勢となった。「まさか」 前方の座席に手をついたまま、日向が笑う。「ううん、きっとそうです。私
2022年9月20日 07:13
第7章 秒刻みの犯罪(6)2(承前)「そうか。荒瀬さんはなんらかの理由で櫻澤を殺した人物が誰であるかを知り、それを隠すために嘘の供述で犯行時刻をごまかそうと……」「そう。自分が立ち去ったあとに、君があの屋敷を訪れるなんて、荒瀬君にはまったく予想できなかったことだからね。荒瀬君以外に、櫻澤邸を訪ねる人間なんて誰もいない。遺体は、次に荒瀬君がやって来る一週間後まで、誰にも見つからないはずだったん
2022年9月19日 06:09
第7章 秒刻みの犯罪(5)2(承前)「日向さんはこの事件について、どう考えてらっしゃるんですか?」 現れては消えてゆく窓の外の風景を眺めながら、私は尋ねた。「ううん……いいたいことがいっぱいありすぎて、どこから始めればいいのやら。あ、君が書いたこの文書、しばらく借りておいてもいいかな?」「どうぞ。差しあげます」 私が答えると、日向はレポート用紙をふたつに折り畳み、上着のポケットへとしま
2022年9月18日 06:11
第7章 秒刻みの犯罪(4)2 翌日の朝。 激しい葛藤の末、私は日向に電話をかけることを決意した。一対一で会話を交わすことには不安もあったが、しかしだからといってためらっている場合ではない。 昨日の刑事の言葉が、ひどく気にかかる。一体彼らは、どこまで真実に近づいているのだろう? 少しでも情報がほしい。日向であれば、警察の動きを多少なりとも知っているはずだ。 呼び出し音が響く間、私の胸は早鐘
2022年9月17日 06:35
第7章 秒刻みの犯罪(3)1(承前)「栗山君はそのあとすぐ、五時五分発の下りのゴンドラに乗り込んでいます。これも、同乗者の証言から真実と見て間違いないでしょう」 私は驚きを隠しきれなかった。まさか分単位で、亮太の行動が確認されていたとは。だがこの精緻さは、逆に亮太に有利に働く。「だとしたら、栗山君が犯人のはずはありません」「そのとおりです」 年配の刑事は、無表情のまま頷いた。「櫻澤さ