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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)109
第7章 秒刻みの犯罪(13)
3(承前)
「すまない。これを持っていてもらえるかな」
ポケットから取り出したのは、赤のボールペンと美神湖のガイドマップだった。彼は私にボールペンを手渡すと、膝の上にガイドマップを乗せ、丁寧にしわを伸ばし始めた。
「いいかい? 今僕たちがいる場所は、地図のこのあたりだ」
そういって、日向はどこから取り出したのか、古ぼけた万年筆でマップに×印をつける。
「そして、栗山君が管理人と出会ったのはこのあたり」
今度は、湖の左端――遊泳場に×印をつける。
「さあ、ここで簡単なお絵描きをしてもらおう。今僕が書き込んだふたつの×印を、直線で結んでもらえるかな?」
日向からマップを受け取ると、私はいわれたとおりにボールペンで直線を引いた。不安定な膝の上で描いたため、少し歪んだ形になってしまう。
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「これでいいですか?」
「ああ、充分だよ。さて、櫻澤氏が住む立派なお屋敷と美神湖はほとんど接しているよね。ここから見てもわかるように、屋敷から湖まではどんなにゆっくり歩いても、三十秒とかからないだろう」
私は黙って頷いた。彼がなにをいおうとしているのかまったく予想がつかず、不安ばかりが増していく。
「たった今、君が引いてくれた直線。これ、実際にはどのくらいの距離かわかるかい?」
首を横に振る。知っているわけがない。
「ちょっと思うところがあってね、あらかじめ住宅地図を使って、正確な距離を調べておいたんだ。ここの長さは……」
マップ上の直線を指でなぞりながら答える。
「千四百九十六メートル。ほぼ千五百メートルだ」
「千五百メートル……」
「ボートを使えば、君のいうとおり目立って仕方がないと思う。でももし、泳いで渡ったとしたら?」
私はしばらくの間、金縛りにあったかのように動くことはおろか、口を開くことさえもできなかった。
「あなたは……」
やっとの思いで口にできたのはそれだけだ。
「もしも、栗山君が泳いで湖を渡ったとしたらどうだろう? 遊泳場は湖の畔から約百メートル以内に限られていて、境界線には金網が張られているけれど、これはちょっとだけ深く潜れば容易に抜け出ることが可能だ。美神湖を横断するのは、さほど難しいことじゃない」
日向は説明を続ける。
森を通って櫻澤邸に忍び込んだ亮太は、犯行を終えるとすぐに湖へ飛び込んだ。そのまま、まっすぐ遊泳場に向かって泳ぐ。西の畔が近づいてきたら潜水をして、誰にも見つからぬよう遊泳場内に忍び込む。午後五時前なら、まだたくさんの人がいただろうから、水浴びをしていたように見せかけて岸に上がればいい。
「この推理を裏づける材料は、すでにいくつもそろっている。君だって、証人の一人なんだよ」
動揺する私を、彼は容赦なく指差した。
「事件当日、君はこのあたりでなにかが湖へ落ちる音を聞いているだろう? それはたぶん、栗山君が犯行を終えて湖へ飛び込む音じゃなかったのかな?」
「まさか……あれは私の空耳で……」
「栗山君を庇おうとする気持ちはわかるよ。でも彼の犯行を裏づける事実は、まだほかにもあるんだ」
つづく