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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)103
第7章 秒刻みの犯罪(7)
2(承前)
「私、櫻澤が憎かった。亮太の、『あいつさえいなければ、昔みたいに泳げるようになるのに』という言葉を聞いて、真剣に櫻澤の死を願いました。そう……警察はひょっとしたら、私を一番疑っているのかもしれません」
列車が急ブレーキをかけたため、私たちはそろって前のめりの体勢となった。
「まさか」
前方の座席に手をついたまま、日向が笑う。
「ううん、きっとそうです。私、事件の前日、高校近くのハンバーガーショップで、『櫻澤を殺してやればいいじゃない!』って大声で叫んだんです。あのときは、つい興奮してしまって……。店内の客はみんな、私のほうを振り返りました。ひょっとしたら警察はそのことを知って、だから私を訪ねてきたのかも」
「着いたよ」
日向に腕を引っ張られ、私は美神駅に降り立った。
「君は櫻澤を殺していないんだろう? だったら、恐れる必要なんてなにもないじゃないか。警察だって馬鹿じゃない。確かにいっときは君を疑うことだってあるかもしれないけど、すぐにそれが間違いだったと気づくはずだ」
彼は待ってましたとばかりに慌ただしく煙草に火をつけ、大きく背中を伸ばした。
「自分が犯人でないと知っている分だけ、君は警察よりも一歩進んだ立場にいるんだ。どうだい? 警察よりも早く、真相に近づいてやろうじゃないか」
日向のその言葉で、少しだけ気分が軽くなった。両手を広げ、澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込む。
「ゴンドラの出発時刻はわかる?」
改札口を通り抜け、青空の広がる屋外に出ると、彼は早くも二本目の煙草に手を伸ばしていた。
「上りも下りも三十分に一本の運行です。下りは毎時五分と三十五分。上りは確か、二十分と五十分だったと思いますけど……」
「じゃあ、急がなきゃ。三十分も待たされるのはごめんだからね」
そういうなり、日向はゴンドラ乗り場へと走り出していた。
私の腕時計は十一時十五分を示している。乗り場は目と鼻の先だから、そこまで急ぐ必要はないだろう。私は歩くスピードをわずかに早め、日向のあとを追った。
「決して名探偵を気取るつもりはないし、自分がそんな柄じゃないことはよくわかっているけど、少しずつ事件の輪郭が見え始めたような気がするよ」
日向の言葉を耳に、ゴンドラへと乗り込んだ。さすがに平日は客も少なく、あたりはひっそりと静まり返っている。乗客は私たちだけだ。十五人乗りのゴンドラに二人しかいないというのは少々寂しく、相当に不安だった。
しばらくの間、日向は私の前をうろうろと歩き回りながら考えごとを続けていたが、ゴンドラが中腹に差しかかったところで、いきなり手を叩いた。
「なにかわかったんですか?」
「ちょっと待って」
右手のひらを突き出して制止のポーズをとると、彼は眉間にしわを寄せたまま、私の前に腰かけた。
「頭の中を整理するから」
胸ポケットから手帳を取り出すと、独り言を呟きつつ、なにやら細かい文字を書き込んでいく。ゴンドラが到着するまで、私はそんな彼の姿をじっと眺めているしかなかった。 ゴンドラはちょうど十分で、美神湖前にたどり着いた。
週末のにぎわいは幻だったのかと疑いたくなるほど、裏寂しい光景が広がっている。わずかに釣りを楽しむ客がいるだけで、耳を澄ましても蝉の鳴き声以外はなにも聞こえてこない。
相談したわけではなかったが、私たちの足は自然に櫻澤邸へと向かっていた。
「いい天気だねえ」
麦わら帽子をかぶった初老の男が、のんびりとした口調で話しかけてくる。
「暑くありませんか?」
「なあに、大丈夫。もうちょっとの辛抱だ。このあたりは、四時を過ぎると山の影に入っちまうから、涼しくて過ごしやすいんだ」
「オジサン、引いてるよ」
日向が、釣り糸の先を指差した。
「おっと、本当だ」
男は慌てて釣り竿を握り直すと、真剣な表情でリールを回し始めた。
つづく