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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)112

第7章 秒刻みの犯罪(16)

「屋敷の中を探検してみようか」
 日向に肩を叩かれ、我に返る。いつの間にか、あたりはすっかり夜の様相を呈し始めていた。時計を見ると午後七時。三時間近く、ぼおっと湖を眺めていたことになる。その間、私たちはひとことも会話を交わしていなかった。
「考えごとをしていたら、いつの間にかこんな時間になっちゃったな。ちょっと屋敷の中を覗いて、それから帰ることにしよう」
 立ち上がって、日向はいった。
「勝手に、屋敷の中へ? 不法侵入で捕まりませんか?」
「大丈夫。今は誰も住んでいないんだ。わかりゃあしないさ」
「だけど事件現場を荒らしたら、あとで警察に叱られるんじゃ……」
「心配ないって。事件から一週間以上経っているんだ。隅から隅まで調べ尽くしたあとだろうし、いまさら現場をいじったところで誰も文句をいったりはしないさ」
 日向は私のためらいなど意に介さず、一人で勝手に玄関口へ向かって歩き始めた。仕方なく、あとを追いかける。
「どうやって中へ入るんです?」
「心配無用。鍵をこじ開けるのは得意なんだ。昔、そういう仕事をしていたことがあってね」
「はあ……」
「あ。といっても、泥棒じゃないよ」
 日向は笑いながら、玄関口の豪華なドアに手をかけた。道具もないのにどうやって解錠するのだろうと、私は彼の手もとに集中したが、どうやらドアは施錠されていなかったらしく、日向がノブをひねると呆気ないほど簡単に外側へ開いてしまった。拍子抜けとはまさしくこのことだ。
「警察の怠慢か? 呆れたもんだな。きっと捜査を終えたあと、施錠するのを忘れて帰ってしまったんだろう。大体、あいつらは……」
 国家公務員に対する不満を口にしながら、日向は屋敷内へと足を踏み入れた。
 彼の肩越しに、おそるおそる中を覗き込む。もしかして再び、何者かの死体が転がっているのではないか。そんな妄想が頭をよぎったが、玄関は綺麗に掃除されており、血の跡もまったく残っていなかった。
 玄関脇の漆喰の壁には、四インチほどのモニターが三つはめ込まれている。今はなにも映っていないが、おそらく鉄門付近に設置された防犯カメラの映像がここに送られてくるのだろう。《開閉》と記されたモニター下の赤いボタンは、鉄門を動かすためのスイッチに違いない。試しにボタンを押してみたが、電気が通じていないらしく、目に見える変化は起こらなかった。
「遺体はどこに倒れていたの?」
 膝を折って事件現場を丹念に調べていた日向が、顔を上げて私に尋ねた。
「ちょうどそのあたりに……」
 目線で伝える。そこに櫻澤が倒れていたのだと思うと、指差すこともためらわれた。遺体を発見したときの状況を詳しく説明するうちに、だんだん気分が悪くなってくる。
「ああ。こんなところに片割れが落ちてる」
 日向はだだっ広い玄関の片隅から、片方しかないサンダルを拾い上げた。真っ赤に彩られたサンダルの中央には、黒い渦巻き模様が描かれている。めまいを感じるそのデザインは、森で拾ったものとまったく同じだった。
「森に落ちていたサンダルは左足。こちらは右足だ」
 そう口にしながら、彼はサンダルを裏返した。かかとには、森で拾ったものと同様、赤黒い染みが付着している。
「大きさも同じ。かかとのすり減り方もよく似ている。ペアと考えて間違いないだろうな」
 森で拾ったサンダルを取り出し、ふたつを比較しながらいった。

つづく

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