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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)105
第7章 秒刻みの犯罪(9)
2(承前)
「あり得ません」
即座に、日向の言葉を否定する。
「あの日のレイクサイドロードは、大勢の釣り客でにぎわっていたんですよ。展望レストランを出て、そのまままっすぐ櫻澤邸へ向かったのであれば、誰かがその姿を目撃したはずです。でも、亮太を見たという証言はまったくない。レイクサイドロードは、車一台がようやく通り抜けられるほどの広さしかないんですよ。それなのに目撃者が一人もいないなんて、ちょっとおかしくありませんか?」
「ああ、そのとおりだ。栗山君はレイクサイドロードを通っていない」
彼は湖の方向を眺めたまま、さっきからまったく私と視線を合わせようとしない。口ぶりも妙に落ち着いていて、私をなにかと苛立たせた。
「じゃあ、亮太が犯人であるはずは――」
「ほかのルートを使って櫻澤邸に赴いた、と僕は考えている」
「ほかのルート?」
日向は上着のポケットを探り、くしゃくしゃに丸まった紙片を取り出すと、それを私に手渡した。しわを伸ばしてようやく、それが美神湖のガイドマップであることに気がつく。
「さっき、美神駅から持ってきたマップだよ」
「ええ。そのようですね」
「レストランから櫻澤邸へと向かうルートは全部で四つ考えられる。その一、レイクサイドロード。だけどさっき君が述べたとおり、このルートを使ったとはまず考えられない。レイクサイドロードを歩いたなら、必ず誰かがその姿を目撃しているはずだからね」
マップを指でなぞり、私は頷いた。
「その二、ハイキングコース。こちらのルートなら、客もレイクサイドロードほど多くはないから、目撃者がいなくても不思議じゃない。しかし――」
「一時間二十分で往復することは、不可能ですよね?」
「そういうことだ。その三、森の中を通って櫻澤邸へ向かうルート」
「いくらなんでも、それは無理でしょう」
マップから顔を上げ、私はいった。
「森の中は傾斜がきつく、ほとんど崖みたいな場所ばかりなんですよ。まともに歩くことさえできないはずです」
「本当にそうかな?」
それまでずっと湖を見ていた日向が、不意に私のほうへ顔を向けた。彼の視線は鋭く、私をどきりとさせる。
「試してみようか」
日向は私の手を取ると、来た道を戻り始めた。
「ちょ、ちょっと……」
彼の手は大きく、そして硬かった。怒りと喜び。暖かさと冷たさ。希望と絶望。相反する思いが交錯する。
パパ……ねえ、パパ。
幼い頃の私の声が聞こえた。
……パパ、だーい好き!
消滅したとばかり思っていた記憶がよみがえりそうになり、慌てて彼の手を振りほどく。
「なにを試すんです?」
懸命に平静を保ち、私は尋ねた。
「森の中を通って、櫻澤邸に行くことができるかどうかをだよ。今から、森の中を歩いてみようと思う。君はレイクサイドロードで待機して、僕が何分で森を通過できるか、計測してもらえないか?」
「そういうことなら、一緒に行きます」
日向の前に立ちはだかり、語気を強める。
「私も一緒に歩いて、亮太の無実を証明してみせますから」
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つづく