見出し画像

自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)106

第7章 秒刻みの犯罪(10)

 展望レストランの前で立ち止まった日向は、おもむろに振り返り、私に戸惑いの表情を向けた。
「やっぱり、僕一人で行くよ。森の中はどうなっているかわからない。あまりにも危険すぎるからね」
「私は平気です」
 半ばムキになりながらそう答えると、彼は口をとがらせた。
「じゃあ、はっきりいうよ。春山君は女の子だ。当然、足取りも遅い。君と一緒に歩いたら、正しい時間が計測できなくなるかもしれないだろう?」
「ご心配なく。私、体力には自信があるんです。そのへんの華奢な女の子と一緒にしないでください」
「わかったよ。そこまでいうなら、仕方がない」
 彼は首をすくめ、あきらめ口調で答える。
「どうやら、君の意志は変わりそうにないからね。僕も相当な頑固者だけど、君には負けたよ」
 ――最近あんた、あの人に似てきたよ。
 どこからか母の声が聞こえてきそうな気がして、全身がむず痒くなった。
 まもなく午後二時半になろうとしていた。私は靴紐をきつく結び直すと、日向よりも先に森の中へ飛び込んだ。
「おい、待てよ」
 後ろから、慌てた様子で日向が追いかけてくる。
 森の中は、想像していたよりも歩きやすかった。足もとは比較的安定していたし、森の中を探索する人間がときどきいるのか、うまい具合に人が一人通れるほどの獣道ができあがっている。
「警察だな」
 日向がいった。
「警察もここを通ったんだ。レイクサイドロード以外のルートを、必死で見つけようとしているんだろう」
 つまり、警察も亮太を疑っているということか。
 私は途中で立ち止まることなく、黙々と日向の前を歩いた。獣道が存在するとはいえ、過酷なルートであることに変わりはない。木の枝や岩で何度も手足をすりむきながら、先を急ぐ。太い幹の間からわずかに湖が見えたので、道に迷うことはなかった。しかしあたりは薄暗く、もし一人きりだったなら、即座に逃げ出していただろう。
「……春山君、春山君」
 三十分も歩いた頃だろうか、荒い息づかいと共に日向の疲れきった声が聞こえ、私は初めて足取りを止めた。
「ちょっと休憩しよう」
 彼はぜいぜいと、まるで散歩を終えたばかりの犬のような顔をしながら、よたよたと私のそばへ近づいてきた。
「私は足手まといになる、と話していませんでしたっけ?」
 意地悪な質問を投げかける。
「悪かった。君のほうがずっと体力がある。見くびってすまない。謝る。だから、少し休ませてくれ」
 日向は岩の上に腰を下ろすと、何度も深呼吸を繰り返した。
「正確な時間が計れなくなりますよ」
「そういじめないでくれよ。五分休憩しよう。あとでその分を差し引けばいい」
「そうですね」
 私は、彼の横に腰を下ろした。
「正直いうと、私もそろそろ休みたかったんです」
 靴を脱ぎ捨て、両足を宙に踊らせながら空を見上げる。四方は木々に囲まれていたが、上空にはさえぎるものなどなにもなく、真っ青な空だけがどこまでも広がっていた。空は高く、自分が深い穴の底にいるような錯覚にとらわれる。
 あまりの高さにめまいを感じ、身体のバランスを崩した。岩の上から滑り落ちた私は、したたかに腰を打つ。
「あいたあ」
 運悪く、私の落下地点にはなにか固いものが落ちていたようだ。腰を撫でながら立ち上がると、草むらをかき分けて、私を痛めつけた張本人を拾い上げる。
「ドジだなあ」
 日向は、煙草をくゆらせながら笑った。
「空の美しさに見とれていたんです。ロマンチックな女の子でしょ?」
 ジーパンについた泥を払い落としながらいう。

つづく

いいなと思ったら応援しよう!