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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)107

第7章 秒刻みの犯罪(11)

3(承前)

「自然と戯れるのもほどほどにしておかないとな。星の美しさに夢中になったあるロマンチストは、いつも上ばかり見て歩いていたために、井戸に落ちて死んでしまったそうだ。君もそうならないように、気をつけないと」
「私はそこまでドジじゃありません」
「さあ、どうだか」
 私は、草むらの中から拾い上げた片方だけしか存在しない真っ赤なサンダルを日向の前に突き出し、
「ドジな人なら、こんなものすごい発見はしないでしょ?」
 そういった。
「なんのこと?」
 私の言葉に、日向はぽかんと大口を開け、間抜けな顔を見せる。
「このサンダルがものすごい発見?」
 私からサンダルを受け取った日向は、様々な角度からそれを眺め、何度も首をひねった。
「中央に渦巻き模様が描かれていて、ちょっと薄気味悪いね。趣味の悪いデザインだということを除けば、ごく普通のサンダルに見えるけど」
「私、そのサンダルを前にも見たことがあります。櫻澤の遺体のすぐそばで」
「え――」
 間違いない。櫻澤の額から流れ出す血の色とオーバーラップして、私の記憶にしっかりと刻み込まれている。
「遺体のそばにサンダルが落ちていたなんて情報は、どこからも入ってきてないけどなあ」
「警察が、すべての情報をマスコミに流すとは限らないでしょ? おそらく、サンダルは真犯人を特定するための重要な証拠物件なんですよ。だからあえて、情報を伏せてるんじゃないでしょうか」
「いや……」
 日向は、頭を掻きながらいった。
「実は僕、警察がつかんだ情報を手に入れようと、君のアパートにもやって来た目つきの鋭い中年刑事――水口という名前らしいけど――に接近したんだ。彼からありとあらゆる情報を引き出したつもりだけど、サンダルの話はしていなかったなあ」
 唖然とするしかなかった。
「どういうことです? 警察って、そんなにも簡単に一般人へ情報を提供するものなんですか?」
「いや、もちろんそんなことはないよ。とくに、あの刑事は口が固そうだしね。よほど心を許している人物にしか、事件のことは語らないだろう。だから、そういう関係になって近づいたんだ」
 彼は信じられないような話を、なんでもないことのようにさらりと口にした。
「作家になるには、人間を知ることが大切だからね。街で出会った人をじっと観察しているうちに、いつの間にか相手がなにを好んでなにを嫌がっているかが、ひと目でわかるようになっちゃったんだ。だから、あの刑事に気に入られる男になるのも、さほど難しくはなかった。偶然を装って出会い、二、三度酒を飲んだら、すっかり打ち解けちゃってさ」
「……日向さんって恐ろしい人ですね」
 私は、思ったままを言葉にした。
「だけど、真っ赤なサンダルが遺体のそばに落ちていたのは事実です。この目ではっきりと見たんですから、間違いありません」
「このサンダルが、そのときに見たものとは限らないだろう?」
「こんな趣味の悪いサンダル、そう多くは出回っていないはずです。それにほら」
 私はサンダルの底を指差した。すり減ったかかと部分に、赤黒い染みがこびりついている。
「もしかして、血?」
「おそらく。警察で調べてもらえば、はっきりすると思います」
「でもどうして、櫻澤氏のそばに転がっていたはずのサンダルが、こんなところに落ちているんだろう?」
「それは私にもわかりませんけど……」
「とにかく、なんらかの手がかりにはなりそうだな。持って帰ることにしよう」
 日向は上着のポケットからビニール袋を取り出すと、その中にサンダルをしまい込んだ。
「そろそろ五分経った頃だな。じゃあ、出発しようか?」
 腰の関節を、ぽきぽきと景気よく鳴らしながら立ち上がる。

つづく

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