見出し画像

自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)102

第7章 秒刻みの犯罪(6)

2(承前)

「そうか。荒瀬さんはなんらかの理由で櫻澤を殺した人物が誰であるかを知り、それを隠すために嘘の供述で犯行時刻をごまかそうと……」
「そう。自分が立ち去ったあとに、君があの屋敷を訪れるなんて、荒瀬君にはまったく予想できなかったことだからね。荒瀬君以外に、櫻澤邸を訪ねる人間なんて誰もいない。遺体は、次に荒瀬君がやって来る一週間後まで、誰にも見つからないはずだったんだ。これは、犯人にとっては願ってもないことだ。荒瀬君はそこまで考え、犯人を庇うために嘘をついたに違いない。とはいえ、君の出現で彼の苦労も無駄に終わってしまったわけだけど」
 脳裏に、亜弥の影がちらついた。
 もしも、日向のいうことがすべて正しかったとしたら、荒瀬が嘘をついてまで庇おうとした人物というのは――。
「次に、第二のケース。荒瀬君が櫻澤邸に荷物を運んだそのときに、殺人が行なわれた場合。このときの犯人は、荒瀬君しかあり得ない」
 私は内心の動揺を押し隠して、小さく笑った。
「あの人に、櫻澤を殺す動機がありますか?」
「荒瀬君は、櫻澤氏ともっとも頻繁に顔を合わせていた人物だ。二人の間になんらかのトラブルがあったとしても、ちっとも不思議じゃないだろう?」
「でも私は、櫻澤と別れてトラックに戻ってきた彼の顔を見ています。とても大罪を犯したあとの表情には見えませんでしたけど」
「僕だって、なにも本気で荒瀬君を疑ってるわけじゃないよ。あくまで、警察の思考パターンをなぞっているだけなんだからね。次のケースを考えてみようか? 荒瀬君が櫻澤氏と別れてから君が遺体を発見するまでのわずか数分間に、犯行が行われた場合。これが第三のケースだ」
「この場合は、荒瀬さんも私も嘘をついていないことになりますね」
 独特のアクセントで、『まもなく美神駅です』とアナウンスが響き渡る。
「おっと。先を急ごう。第四のケース。君が櫻澤邸を訪ねたそのときに、犯行が行なわれた場合。この場合の犯人は君だ」
 そういいながら、私に人差し指の先を向ける。
「そういうこともあるかもしれません」
「最後に、第五のケース。君が櫻澤氏の遺体を発見したあとで、犯行が行なわれた場合。この場合の犯行時刻は、君が遺体を発見してから警察が到着するまでの間と考えられる」
「つまり、私が見つけたのは遺体ではなかったと?」
「そう。いささかミステリドラマじみてくるけど、櫻澤氏はなんらかの理由で死んだ真似をしていただけだった。いや、こう考えたほうがもう少し信憑性が出てくるかな? 君は元気な櫻澤氏と顔を合わせたにも拘わらず、『死んでいた』と虚偽の証言をしたのかもしれない。嘘をついた理由は、第一のケースにおける荒瀬君と同様だ。誰かを庇うために、犯行時刻をごまかそうと考えたんだろうね」
「釣り客に助けを求めようと、私が現場を離れた隙をついて、櫻澤は殺されたわけですね」
「ああ。そして、これら五ケースのいずれかが真実ということになる」
「私は、自分自身が嘘をついていないと知っています。私が櫻澤邸を訪ねたとき、彼は間違いなく死んでいました。だから、第四と第五のケースは真実ではありません。残念ながら、それを証明する手だてはありませんけど」
「僕も、第四のケースだけはあり得ないと思っているよ。君に人殺しができるとはとても思えない。動機もないわけだしね」
 日向の言葉に、私は顔を伏せた。ほんのささいな行動だったが、勘のいい彼はすぐに気づいてしまったようだ。
「どうしたんだい? まさか、実は私が殺しましたなんていい出すんじゃないだろうね」
「まさか。もちろん、私は殺していません。だけど……死んでくれればいいとは思っていました」
 私の告白に、日向はしゃっくりのような声を漏らした。

つづく

いいなと思ったら応援しよう!