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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)108

第7章 秒刻みの犯罪(12)

3(承前)

 結局、森の中を通って櫻澤邸まで歩くと、五十分以上を費やすことが判明した。途中休憩した五分を差し引いても、ハイキングコースの入り口付近から櫻澤邸まで四十五分はかかることになる。
 櫻澤邸に到着したときには、二人ともくたくたに疲れ果てていた。しかも木の枝に何度もひっかかれ、私の腕はミミズ腫れだらけだ。
 櫻澤邸前の頑丈な鉄門は閉ざされていたが、森を通り抜けてきた私たちには関係ない。注意深くあたりを見回し、ほかに人影がないことを確認してから、忍び足で玄関へと向かった。
「栗山君のアリバイが成立しなくなるのは、午後三時半からだったよね? 櫻澤氏が殺されたのは四時半以降だから、彼には一時間の余裕がある。森の中を通れば、誰にも見つかることなくこの屋敷へ忍び込めたわけだ」
「だけど、帰りは?」
 露骨に不機嫌な態度をとって尋ねる。
「亮太は釣り客に見つからないように、森の中を通って櫻澤邸へ忍び込んだ。そして午後四時半過ぎ、荒瀬さんが立ち去った直後に櫻澤を殺害する。そこまではわかります。でも、それからあとはどうなります? 四時五十分に、亮太は遊泳場で管理人と顔を合わせているんです。わずか二十分足らずで、森の中を帰ってきたというんですか?」
「森を二十分で通り抜けるのは不可能だね」
 腹立たしいことに、私がどう反論しようと、日向はまったく表情を変えない。あらゆる質問に対する答えを、最初から用意しているような余裕さえ感じる。
「レイクサイドロードを走れば、二十分で帰ってくることは可能だが、でも釣り客は誰一人として、栗山君の姿を見ていない。つまり、彼はレイクサイドロードを通ってはいないわけだ。釣り客全員が嘘をついているなら話は変わってくるけど、まあいくらなんでもそれはないだろう」
 右手の人差し指を立てて、日向は続けた。
「第一のルート、レイクサイドロードは使用されなかった」
 さらに一本、今度は中指を立てる。
「第二のルート、ハイキングコースを使ったら陽が暮れてしまう。これもあり得ない」
 続いて、薬指。
「第三のルート、森の中を通っても二十分では帰ってこれない。となると……」
 小指を立てて、彼は続けた。
「第四のルートを使うしかない」
「第四のルート?」
 私は眉をひそめた。
「レイクサイドロード、ハイキングコース、そして森。それ以外に、櫻澤邸を往来する道はないはずですけど」
「いや。もうひとつある」
 日向は立ち止まり、西の方角を指差した。
「湖だ。たとえばボートを使って、湖を渡ったとしたら?」
 突拍子もない彼の考えに、私は苦笑するしかなかった。
「櫻澤邸に、あらかじめボートが用意してあったとでも?」
「べつに、ゴムボートでもかまわないさ。空気を抜けば、充分携帯できるだろう?」
「ボートが湖に浮かんでいたら、誰かがそれを目撃したはずですよ。でも、そんな人はいなかったんでしょ?」
「なるほど。確かにボートは目立ちすぎるね。じゃあ、もっと地味な手段で湖を横断したなら?」
 櫻澤邸へと続く小道は、途中でふたつに分かれていた。正面にはすでに玄関口が見えていたが、日向は脇道の方向へ足を踏み入れた。私も、そのあとに続く。
 しばらく歩くと、急に視界が開けた。どうやら、庭に繋がっていたようだ。大学のテニスコートがすっぽり収まってしまいそうな芝生の広場。目の前には美神湖が広がっていた。吸い込まれそうになるほど、濃い青色をしている。
「実は、面白いことに気がついたんだよ」
「面白いこと?」
 私が訊き返すと、彼は胸のポケットをまさぐり始めた。

つづく

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