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自由形世代(フリースタイル・ジェネレーション)99
第7章 秒刻みの犯罪(3)
1(承前)
「栗山君はそのあとすぐ、五時五分発の下りのゴンドラに乗り込んでいます。これも、同乗者の証言から真実と見て間違いないでしょう」
私は驚きを隠しきれなかった。まさか分単位で、亮太の行動が確認されていたとは。だがこの精緻さは、逆に亮太に有利に働く。
「だとしたら、栗山君が犯人のはずはありません」
「そのとおりです」
年配の刑事は、無表情のまま頷いた。
「櫻澤さんが殺された時刻は、午後四時三十二分前後と推定されています。スーパー従業員の荒瀬駿一さんが櫻澤さんに荷物を手渡してから、あなたが遺体を発見するまでのわずか一、二分の間です。もし栗山君がその時刻に櫻澤を殺したのであれば、それからわずか十五分あまりで遊泳場まで戻れたはずがありません」
刑事は落ち着き払った態度で答えると、じっと私の目を見た。私も負けじと彼の顔を睨み返したが、気迫負けしていることは認めざるを得なかった。
彼の横では、若い刑事がにやにやと不愉快な笑みを浮かべている。
怖い。
私の背中を、冷たいものが這いずり回った。
この男たちは一体、なにを考えているのだろう?
「最後に、ふたつだけ質問させてもらえるかな? 今日うかがったのは、それが目的なんだ」
街なかに立つアンケート調査員みたいな軽いノリで、若い刑事がいった。私は深く長いため息を露骨に吐き出し、「どうぞ」と答える。
「僕らが栗山君と会ったのは事件の翌日なんだけど、そのとき彼の身体はずいぶんと日焼けしていたんだ。どうやら、事件の前はそうでもなかったみたいだね。高校のプールは室内にあるから、日焼けなんてするはずがない。彼がどこで身体を焼いたのか、知っていたら教えてほしいんだけど」
どうして、そんなことを私に尋ねるのだろう? 亮太本人に訊けばいいではないか。
いや、すでに亮太の説明は聞いているのだろう。にも拘わらず、あえて私に質問しているのだ。
「事件当日、ハイキングコース沿いの原っぱで焼いたと、亮太は話していましたけど。彼は強い紫外線を浴びると、すぐに肌が赤くなる体質なんです」
私は正直に答えた。
「だけど、そのことが事件となにか関係あるんですか?」
「関係あるかどうかは、我々が判断します」
年配の刑事が冷たくいい放つ。
「もうひとつ」
ボールペンの先を舐め、若い刑事が続けた。
「栗山君は日曜日の午後四時四十分頃、《わんぱく村》の公衆電話から、遥香さんの自宅に電話をかけたと証言しているけど、それは真実?」
「日曜日の四時四十分って……だって私はその頃、櫻澤さんの遺体を見つけて大騒ぎしていたんですよ」
「うん。だから、留守番電話が応対したそうだ。彼は留守番電話に、君へのメッセージを残したといっている。それは本当かな? 日曜日の午後四時四十分に、栗山君からのメッセージは録音されていたかい?」
「それは、事件と関係あることなんですか?」
「非常に重要です」
と、年配の刑事が口にする。
「メッセージは録音されていました」
私は迷うことなく答えた。
「ほう、そうですか。で、今もその録音は残っていますか?」
「いえ……消してしまいました。私、メッセージを聞き終わったあとは、いつもすぐに消去してしまうんです」
「そうですか。それは残念です」
年配の刑事は顎を撫でて、なにやら独り言を呟いたが、やがて姿勢を正し、
「ご協力ありがとうございました。それでは失礼します」
馬鹿丁寧な挨拶を寄越し、私に背を向けた。
「じゃあ、またいずれ」
若い刑事のほうは最後に上目づかいで私を見ると、踵を返し、先輩刑事のあとを追いかけていった。
二人の後ろ姿を見送りながら、私はとてつもなく巨大な不安感に押しつぶされそうになっていた。
刑事たちは亮太を、櫻澤殺しの最有力容疑者として疑っているのかもしれない。そして私も――私も彼らと同じように、亮太のことを疑っている。
「まさか、そんな……」
私はかぶりを振り、その恐ろしい考えを打ち消そうとした。
だが、日曜日に亮太から電話などかかってこなかったことは、疑いなき事実なのだ。あの日、留守番電話には誰からのメッセージも録音されていなかった。
亮太はなぜ、そんな嘘をついたのだろう?
つづく