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短歌のエッセイたち

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#エッセイ

なぜ体験したことをわざわざ短歌という形で表現するのか

なぜ体験したことをわざわざ短歌という形で表現するのか

短歌を読む習慣があるひとって、そんなにいない。
普通の本屋では短歌の本をほとんど置いていないことが多い。小説や漫画はどこでもたくさん置いてある。

ではなぜ僕は自分の感じたことや体験したことを、わざわざほかでもなく短歌という形で表現しているのか。

第一に自己の適性の問題がある。これは書き手の都合の話だ。
しかし向いていないことをやってもたいてい結果は出ないし、誰かを喜ばせることも難しいだろう。

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作品のタイトルを詩的にするのか、タイトルで内容を具体的に伝えるのか

作品のタイトルを詩的にするのか、タイトルで内容を具体的に伝えるのか

三月下旬に「鬱と就職活動と友の自殺と」という短歌の連作を投稿した。重い言葉がならんだタイトルだ。具体的ではあるが、詩的ではない。
短歌の連作のタイトルにはもっと詩的な言葉が採用されることが多い。もちろん僕もそれについては考えた。しかしいまの形を採用した。そこにはそれなりの理由がある。

まず僕は、この作品をSNS的な流れとはすこし異なった位置に置きたかった。
ここで言うSNS的な流れとは、なんとな

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孤独と、僕にとっての表現の理想の形

孤独と、僕にとっての表現の理想の形

孤独に苦しんで生きてきました。三十年ほどの人生のなかで、僕を最も苦しめたものは孤独だといってもいいだろう。

孤独にもいくつかの種類がある。僕の場合は物理的に孤立していたわけじゃない。周りに友達と呼べる人間がいることも多かった。

ひとりでいるときよりはむしろ、多人数でいるときに孤独を感じた。自分は無理をしているな、状況に合わせた擬態をしているな、それはつまり自分を殺しているな、と感じていた。

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穂村弘『短歌ください』に自分の短歌が掲載されました。これまでの投稿の道のりと落選作たち。

穂村弘『短歌ください』に自分の短歌が掲載されました。これまでの投稿の道のりと落選作たち。

うまくいった部分だけを何度も声高に叫び、うまくいかなかった部分には一切触れない、というのはいかにもSNS的で個人的にはあまりやりたくないので、他にはどういうところへ投稿していてどういう歌が落選したのかという話も、あわせて書いていこうと思います。

僕は今年(2021年)の1月ごろから、プロの歌人が選者をしている雑誌やラジオなどへの短歌の投稿を始めました。こういう場所に自分の歌が掲載されるのは今回が

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