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窓から見える空の寂しさを知る人へ

p.384|写真に嫌われてるんだろうね

p.450|クラゲには感情がないの知ってました? 

p.104|初恋らしいよ

書籍化です|#一日一鼓

p.299|それはね、喪失感って言うんだよ

p.180|花。花壇に咲いているうちは綺麗に色を見せるのに切り離された瞬間、衰退の一途を辿る。それが、花壇に咲く花なのだ。

母が小説家になったのは私が生まれるよりも前のこと。 父はそのもっと前から母の物語が好きだったそうだ。 母は時々、温かい歴史を話した。 父が登場するその話が私は好きだった。 でも、父がいない今、それが歴史か物語か見抜くことはできない。 母はきっと、まだ隣にいて欲しかったんだと思う。

p.373|誰かの中で名前を思い出せない消息不明の男になっているのかもしれない。

「取材、一緒に行く?」 そう声を掛けてきたのは新作の構想を練っている最中の母だった。 「今回の本はどうしても読んで欲しい人がいるの」 と、意気込む母の誘いを無下にはできず、カーディガンに手を伸ばす。 軽い気持ちで付いて行ったそこには 待ち侘びていたはずの青が広がっていた。

暑さも、緊張も、声援も、疲労も、何も感じない数分間。 そういう時間を生きたことがある。 ただ息をしていた訳ではなく、確かに生きていた。 それはまるで「凪」。 凪の世界で覚えているのはこの脚が刻む音だけ。 あの数分間で刻まれた音は今も体の奥で響いている。 青を待ち侘びている。

p.256|この世界に生きる人じゃない、そう感じる人がいた。

何度読み返しても馴染むことがなく 必ずざらつく場所がある。 母に比べればまだまだ薄く 父に比べればまだまだ重みが足りない そういう歴史の本の1ページにざらつく場所が存在する。 傷つかないように生きてきた歴史の本は貫禄も厚みも重みもない。 だから、あの1ページが嫌に目立つ。

あと少しで、もう少しで、絶対に手が届く そんな確信めいたものを感じている時こそ試されることがある。 バンッ!! 後方で響く音の正体を動こうとしない脚が知らしめる。 痛みよりも絶望が押し寄せて全身が強張る。 あと少し、もう少しだったのに…! これが、ざらつきの正体。

幼い頃から母の取材を見てきた。 取材の先に広がる景色は全く別の世界で繰り広げられていて 退屈な世界も、厳しい世界も、深刻な世界も見てきたつもりだった。 私が何も知らなかったらブルーを踏み締める彼らはどう映っただろう。 今の私には、高揚しているように映る。 彼を見る私も、また。

p.155|彼の嗚咽を聞きながら「泣かないでよ」なんて言えなかった。

母と父はノートとペンのようだと思うことがある。 ペンを走らせる時に摩擦が生まれることがあっても、読み返す頃には涙が滲む手紙のように濃厚な歴史になっている。 そういう関係をこの脚とあの青い場所で築くことができたらよかったのだけど 私とブルータータンはノートとペンにはなれなかった。

p.186|冬の始まり告げるのは白い息でもマフラーでもない。僕にとってはこの朝日だった。

今回はね、ここが舞台。 この青いトラックを囲む人たちの物語を描こうかなって。 一歩一歩努力を刻む人 タイムを見て、水を渡して、彼らの走りをサポートする人 粘れって鼓舞する人 ここにはさ、色んな物語が詰まってると思うんだよね。 そう思わない? _と、母は私の顔を覗き込んだ。

たまに温かい日が来るともう冬が終わったのかと錯覚する。 そんな訳はないのだけど今日は春の訪れを思わせるような日だった。 11月に春が来ることがあるのだから 4月に雪が降ることもあるのだろうか。 そう思いながら あと何回“季節における春”を迎えることができるのかを考えていた。

母がページを捲った物語は続いていく。 登場人物たちは5歳ずつ年を重ねた。 走り出せない弱さを持ったままの私も。 でも母は振り返り、言った。 「取材、一緒に行く?」 それが「歩かない?」という誘いだったことに 母の優しさだったことに 目の前のブルータータンを見て初めて気付く。

p418|晴れ間に見える雨の色は?

左足のふくらはぎが肉離れを起こしたのは 高校最後の全てをかけた夏だった。 あの夏、あの瞬間、 ぷつりと音をたてて私の中の何かが切れた。 繋ぎ止めたのは… 何も感じない数分間を凪と言った母の言葉。 「まるで凪みたい」 叶うなら凪の世界でもう一度この脚が刻む音を聞きたかった。

目を瞑るとシューズがブルータータンを弾く音が連なって聞こえる。 タンタンタタンタタンタン 2人の人間の異なるリズムが偶に合い… タッ/“踏み込んだ” そう感じて目を開けると連なっていた2人の距離がひらく。 勝負をかける高揚感と付いていけない弱さを思い出し足先が疼きだす。

毎日行くわけではないけど たまに出向く食堂は何だか心地良い。 スクランブル交差点もこんな感じだろうか。 もう何年も味わっていない都会の喧騒というものを(きっと、もっとミニマムなものを)体感できるような気がして 用がなくても喧騒に耳を傾けに足を運ぶ。 喧騒が心地良さの正体だった。

向かうのはテーブルばかりで 見ているのは文字ばかりだと思っていた。 でも母が走っていたのは私が生まれるよりもずっと前からで 闘い続けて、粘り続けて 私が止まろうとしても母は止まらなかった。 そうやって背中で見せる人だったけど今度は振り返って手を伸ばしてくれたんだと気がついた。

母は母であり同時に作家だった。 「そんなにも病みつきになるのはどんな瞬間を知っているからなの?」 怪我を知ると母はそう聞いて私の中に眠るページに手を伸ばす。 「まるで凪みたいだ。それにしても、その瞬間にもう出会えないなんて誰が決めたの?」 ページを捲るには充分な言葉だった。

目が覚めた。 久しぶりの空は曇っていた。 いつもは変わらない表情に寂しくなるのに 今日はその変わらぬ表情に涙が溢れた。 寂しいのではなく嬉しいのだと 涙の味が言っていた。 この苦くて痛い日々を生きることを心が望んでいるんだと知った。 皮肉で溢れている。この世界もこの体も。

慰める訳でも、軽蔑する訳でもない。 ただ 「もう出会えないなんて誰が決めたの?」と問いかける母の瞳は 真っ直ぐにこちらを見据えて「止まるの?」と聞いている。 「あなたは、そこで止まるの?」 母の瞳の奥底に物語への熱誠を見た。 母も同じように走っているんだと知った瞬間だった。

後悔とは過去の出来事を悔やむことを言う。 ならば、過去を羨むことをなんと言うのだろう。 未練? 執着? いや、少し違う。 もしかしたら 過去の再生を願う、1つの希望…? 過去に希望を持ちながら霧の中で未来を探す。 それはまるで冬霧のようで 同時に私そのもののような気がした。

磨りガラスというのは期待を膨らませる効果がある。 晴れなんだろうなと分かっていても窓を開けて確かめたくなる。 閉鎖された空間が嫌だからじゃない。 同じような毎日への変化を求めて窓を開ける。 そして、その度に変わらぬ日々に目を瞑り、時々考えてしまう。 世界が逆転してしまえ、と。

まさか、またあのルーティンを思い出す日が来るとは思ってもいなかった。 母はどこまで見えていたのだろうか。 青を前に心が揺らぐことを分かっていたのだろうか。 これも全部母のプロット通り? もしもそうであるなら、やっぱり母は母であり同時に作家だ。 プロの母でプロの作家なんだ。

美しい景色とは、どんなものだろう。 いつもは気にも留めないその言葉がこんなにも気になるのはなぜだろう。 過去の感触ゆえか タータンを見つめる母の目ゆえか 振りまく汗すら輝いて見える選手たちゆえか どんな理由であれ 私はブルータータンという舞台に、どうしても興味を持っていた。

大丈夫、大丈夫、大丈夫。 足を震わす仲間にも、肺が震える自分にもそう言い聞かせてきた。 2年後にはそれがルーティンとなった。 スタートラインに立ち ウォッチに手を添える時 静かに呟く__大丈夫。 最後の試合から5年。 真っ白のラインを見つめて目を瞑る。そして… 「大丈夫」

冬の朝は好きだ。 刺すような寒さと景色に溶け込む太陽。 冬はどの季節よりも日の温かさを感じる。 寒さで悴む手足が生きていることを思い出させる。 だから、好きなんだ。 今年もまた冬が来る。 この人生に、春はいつ来るつもりなんだろう。 この冬が終わってもまだ来そうにない。

どんな夢でも叶えられる環境にいる人と たった一つの夢を叶えられるかどうかも分からない人。 幸福論だけを見たらきっと どちらも幸せを掴むのは簡単ではない。 きっとどちらも暗中模索しながら生きている。 霧がかった空に願う。 お金なんてなくていい。どうか暗中模索できる人生を、と。

遠くで電車が走る音がする。 400m先にある線路から聞こえるのか 記憶の奥底で響いているのか どちらだろう。 遠い昔の古い記憶で私は電車と走っている。 ただ無邪気に。 そんな時もあったのかと考える度、思う。 一体いつから判然としない記憶の中の自分を羨むようになっただろう。

気分が晴れるとはよく言ったものだ。 気分と天気は少し似ている。 曇りの一日はこの白い部屋のトーンもいくらか下がって見える。 でもひとつだけ美しいものも見た。 中庭でドングリを不思議そうに見つめる同い年くらいの男の子。 彼もきっと私たちと同じだ。 ただの勘だけど、結構当たる。

雨が好きだと言った友人がいた。 時に不快感すら持たれてしまう雨を好きだと言えるのは何だか素敵だなと思ったけど 私はやっぱり、雨を好きにはなれなかった。 雨の日は窓から見える空が単調で、寂しくなるから。 雨音も、その匂いも通さない窓を前に 趣を感じることなんて…できなかった。

窓から見える空が、今日は遠かった。 窓枠の内側には雲がひとつも見えない。 雨や雪が降っていない時は雲の量で天気を区別するらしい。ならば、この窓枠から見える“わたし的天気”は快晴だ。 天窓があったらもっと楽しいだろな。 流星群なんかも見えたりして…と見たことのない空を想像する。

今日も雨が降っている。 雨が降ると来客が減るのはきっと気のせいではないだろう。 自分のお客様じゃなくても隣のお姉さんの友達から聞く話は好きだった。 流行りの曲に、噂のカップル。 まるで別の世界。 私にとってのお姉さんたちの話は どこかの少年にとっての宇宙と似ているんだと思う。

青いトラックを囲む人たちの物語。 私の物語はどんなだろう。 私にとってのブルータータンは _夢を見た場所 _背中を追った場所 _涙を呑んだ場所 _足音に追われた場所 高揚感と恐怖が漂う場所だった。 そんな場所がどうしてか今の私には輝いて見える。 多分私は、好きだった。

ブルーのタータンを見つめる姿をこの目に焼き付けた。 その瞳に宿るいくつもの想いをひとつも溢すことなくこの目に焼き付けたかった。 じっとブルータータンを見つめながら、その拳を握りしめていたことにあなたは気付いてる? 私は知ってるよ。 必死に足掻いて、今も戦っていることを。

昼は昼のままで 夜は夜のままで 空は寂しいままで 私の居場所は病院のまま。 何も変わらない日々を人は退屈と言うのですか? 変化を求めて旅をするんですか? 旅ができない人はどうしたらいいんですか? 夕空に問いかけても答えはなかった。 だからやっぱり、私は願うしかないんだ。

「どんな主人公?」 夕飯の時にサラリと聞いてみる。 「それは読者としての質問? 作家の娘としての質問?」 「昔ブルータータンを走っていた人間としての質問かな」 「ではそれは読者からの質問と捉えましょう。そして答えは“読んだ時のお楽しみ”です」 母はイタズラっぽく笑った。

宇宙を駆ける列車の話がモチーフの作品を観たことがある。それは夜に空を見上げたくなるような物語だった。 澄んだ空気が今日の空をよく見せる。 儚く光る星を見ると思い出す。 降らずとも、その輝きが貴方たちにも見えますか? こうして想いを飛ばす夜は 退屈な時間を少しばかり早くした。

p.36|ワタシの代わりに空が泣いて、ワタシの為に踊っているかのようだ、と思う。

夢を見た。 夢の中では不自由なく生きていて、自転車にも乗れた。 でも、突然自転車が動かなくなった。 地面から伸びた蔦がタイヤに絡んでいる。 そして、あっという間に腕も足も体も全部、蔦に締め付けられた。 そんな夢だった。そう、夢の話。 でもこの場所から動けないのは現実だ。

取材に行こう、と誘ってきたのに 母はタータンを弾く選手たちの声は聞かずにトラックを去った。 もういいの? もういいの。 取材っていつもこんな感じなの? いつも通りの取材なんて、ないの。 物語の先の景色、見えた? まだ。でもね 美しい景色が待ってるんだろうなって思った。

緊張の正体への対抗の術は、自分自身を納得させること。 時間が、足が、肺が許す限り走った。だから…大丈夫。 だから、そう。 ピストルが鳴るまでの数秒間に「大丈夫」と言い聞かせられた時は、強い。 自分だけは嘘偽りのない踏んだ距離を知っているからこそ最大の敵にも味方にもなり得る。