
p.256|この世界に生きる人じゃない、そう感じる人がいた。
「元気出ますよ、この肉まん。俺念込めたんで」
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一日一鼓Ⅰ 12月『魅せて、魅せられ、惑わして。』
この世界に生きる人じゃない、そう感じる人がいた。
この世界…この狭い世界、このつまらない世界。俺の世界。
23時45分、ホットスナックが売り切れるのを待っていると大抵やってくる人がいた。彼女がくるたび思った。なんだ、またか…と。
彼女は絶対にホットスナックなんて買って行かない常連さんだった。名前も住所も年齢も知らない。23時45分、エネルギーチャージのゼリーと、たまに絆創膏。黄色いクマの“ハズレなしのキャラクターくじ ”が始まったら、じっとぬいぐるみを眺めるが、結局やらずにエネルギーチャージのゼリーと、たまに絆創膏を買って帰っていく。きっと黄色いクマのキャラクターが好きなんだろうと思う。でも、分かるのはその程度で。やけに姿勢が良くて、決まってその時間にやってくる、俺よりちょっと年下の女の子。それが彼女だった。
俺だってあの子くらいの頃には25歳でこんな生活するなんて思ってなかった。地元で成人式を迎えて、その頃はまだフリーターになるなんて思ってなかった。かと言って、何か夢(…という立派なものじゃなくても、目指すもの)を持ってるわけでもなかった。そういう普通でつまらない、たまにある大学生の末路を生きるのが俺だった。
だから、目の前の生活でいっぱいいっぱいの自分にとって、深夜に俺の前に現れる彼女は「違う世界で生きる人」だった。
並んだら普通は見てしまうレジ横のホットスナックに目もくれない人。
そういう“普通 ”に目もくれない人。
100くらい先の生活を見ているであろう人。
そんな彼女が少しずつこの世界に介入するようになったのは、仮装だの、カボチャだの、お菓子だのと世間が浮かれ始める秋の終わりだった。
黄色いクマの“ハズレなしのキャラクターくじ ”が始まっても目を輝かせなくなり、レジの前に並ぶ一推し(売れ残り)のお菓子に視線が向くようになり、カップラーメンエリアでじっと睨めっこをした挙げ句、カロリーを見て棚に戻す。
前よりも人間らしくなったようにも見えるけど、前よりも彼女らしくなくなったとも思えた。前よりも苦しそうだ と、感じた。
彼女の何を知っている訳でもないのにそう感じたのは、もしかしたら、この5年間で(…このコンビニで)培われた観察眼のおかげだろうか。
「そんなものいらない」
なんて声が実家の方から聞こえてきた気がしたけど、彼女の叫びを目の当たりにした時は、そんな呑気なことも言っていられないような気がした。
深夜1時、エネルギーチャージのゼリーと絆創膏が帰り道に落ちていた。
小さな公園の入り口だった。
人間らしくなった彼女のことを思い出した。
エネルギーチャージのゼリーと絆創膏を見ただけで彼女の顔を思い出してしまうことに自分でも(かなりの)キモさを感じながらも、拾わずにはいられなかった。そして…探さずにはいられなかった。
深夜の公園に彼女はいた。一人、ブランコに揺られて。
何も言わず、何も聞かず、何も見ず。
目の前の生活にいっぱいいっぱいだった俺とも、100くらい先を見ているあの時の彼女とも違う別の誰かのようだった。
この世界を生きる人間として“つまらない ”と、そう感じた。
同時にこの地球で生きる人間として“超えるなよ ”と危機感のようなものを感じた。限界なんて超えてくれるなよ。と。
一度に2度の感情を抱いたのは初めてだった。
そんな俺に彼女はもう一つ感情を生み出させた。
苦しそうに、崩れそうに、壊れそうに、そして美しく、彼女は舞い始めた。ブランコの柵を越えて、誰に見せるでもなく。彼女は…
苦しそうで、崩れそうで、壊れそうで、そして美しかった。
ブランコの柵が砦のように見えた。舞う時にだけ外に出ていく、舞うことで生きていく、舞うことで息をする、そんな生き物なのだと、彼女のことを一つ知った気がした。
今思えば、あの瞬間、彼女に魅せられて境地に立つ彼女を引き留めたい俺が生まれたのかもしれない。夢を追ったことも、夢破れたことも、期待されたことも、期待を裏切ったことも、壁を見上げたことも、下を見下ろしたことも、この人生になかった。そして、なかったからこそ彼女の人生の行先を見てみたいと、興味を持った。俺は100も先の未来を見ようとはしないし、年末から年始に変わる深夜0時もレジの中で一人新たな年を迎える25歳のフリーターだけど、今を(強く? 賢く?)…確実に生きていく術だけは持ち合わせてるから、いつか、彼女に教えてあげよう。
それまで、どうか崩れるな、壊れるな そう願う自分がいた。
23時05分。今日は少し早く彼女が来た。いつもなら売り切れかラスト一個かというホットスナックがこの日に限って各段ひとつずつ残っている。でも、来店したのは絶対に買わないであろう彼女。なんでこんなに早いのかも、なんであんなことを呟いたのかも、分かるわけがなかった。
「疲れた」
彼女の声のような気もしたし、表情に書いてあっただけだったかもしれない。とにかく、不確かな言葉だった。だから、返すべきか迷ってしまった。でもこのままスルーしちゃいけない気がして、俺は口走った。
「肉まん、温まってますよ」と。
5秒の沈黙が50分くらいに感じられて、耐えられなくなって、変なことを言ってしまった。
「元気出ますよ、この肉まん。俺念込めたんで」
なんて自分で言っておいて意味がわからなかった。かなり戸惑っていた。きっと彼女も、確実に俺も。でももう、言ってしまったものは仕方ない。
そうだ、「崩れるな、壊れるな」そう願ったんだから、レジの前でホットスナックを眺める時間くらい一週間に数日でいいからあってもいいんじゃないかと、この時初めて気がついた。その時間を彼女にも味わってもらいたい、と。取ってつけた言い訳じみたこの動機を、彼女が受け取ってくれたのかは分からない。でもそれ以来、彼女はよく肉まんを買って帰るようになった。
そして、絆創膏は買わなくなった。

『一日一鼓 Ⅰ 』
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