
p.36|ワタシの代わりに空が泣いて、ワタシの為に踊っているかのようだ、と思う。
「不幸を半分分けてほしい」
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一日一鼓 Ⅰ 8月『入道雲が絵画のように姿を見せる、ある日に向けた物語』
27歳で喪主を務めることになるとは思っていなかったが、儀式的な母との別れの場で何度となく耳に入った「まだ若いのに」と言う言葉がその現実を突きつけた。
「まだ若いのに、亡くなられたなんて」
「まだ若いのに、これから一人で大変ね」
誰に対しての“まだ若いのに”だったのか。…もう、誰に対してでも良かった。もうどうでも良かった。そんなワタシの乾いた心を弄ぶように、気づけば雨が降っていた。
母がよく連れて来てくれたこの温泉に、今はワタシひとり。誰もいない露天風呂に雨粒がポツポツと降り注ぐ。ワタシの代わりに空が泣いて、ワタシの為に踊っているかのようだ、と思う。もちろんそんなことはないのだけれど、今日くらい、そう思わせてほしい。
突然のことで、未だ涙も出ないこの現実をワタシは受け入れられずにいた。父も、母も、彼も、そしてワタシも、時に変な行動を取ってしまう。でもそれが人間なのかもしれないし、その行動の末に待っている生活が人生なのかもしれない。…なんて、綺麗な言葉で片付けられるほどワタシはよくできた人間じゃないし、なんでもウェルカムな人間でもなかった。
あぁ、そうか。ワタシは…ワタシは消えてなくなってしまいたかったんだ。
「消えてしまったらどんなに楽だろう」
そう思った途端、言いようのない悲しみが襲ってきた。ワタシの置かれた状況に対してじゃなく、ワタシが過去に犯した罪に対してでもなく。あんなに好きで、こんなに憎い母と同じ道を辿ろうとしていた今この瞬間に対して悲しみと絶望が襲いかかった。皮肉にもワタシは、消えてなくなりたいという想いに気づくと同時に、消えてなくなるわけにはいかないと心を決めることとなった。
どんなに幸せでも、どんなに絶望していても、平等に時間は進んでいく。時に残酷に、時に救いのように。母が残した大きすぎる持ち物をただじっと眺めていた。改めて見ると、なんとも立派でなんとも不便なところに佇んでいるその家。じっと見つめてポツリと呟く。
「また、来るね」
前は、玄関の前で微笑む二人に向けた言葉だった。今はなんだか寂しそうな、居心地の悪そうな雰囲気を醸し出した「ただの家」が佇んでいるだけだった。思い出してみたけれど、ここに家が建ってからワタシは両親の顔色を見て育ってきたように思う。喧嘩が絶えなかったと思えば、父が病気になってから母は半ば依存のように父に寄り添った。あれが、母の愛だったのだろうか。ワタシはあんなふうに誰かを愛せるだろうか。
「あぁそうか…」
なんだか寂しそうな、居心地の悪そうな雰囲気を醸し出していたのは、ワタシなのかもしれない。この家にも、家族にも、居心地の悪さを感じていたのかもしれない。
ピコンと音を立てたスマホには彼からのメッセージ。
「帰りは何時ごろになりそう?」
ワタシの居心地の良い場所は借り物の家と生涯を共にする気があるのかもわからない彼の隣だった。ワタシたちの住むしらさぎ荘の横には、大家さんが経営するコインランドリーがあった。“しらさぎ荘価格”で洗濯ができるから、ワタシたちは洗濯機を買うこともなく、コインランドリーに通った。
時間内に洗濯を終わらせようと忙しなく回り続けるこの洗濯物は、まるでワタシかのようだった。色んなことがあって、弔いを作業のように済ませなくてはいけないほどに追い詰められていたんだなと洗濯機の回転を見ながら思う。“ある出来事”は、そんな夜に突然やってきた。
「今日こそ、だと思って」
と差し出されたのは、リングケースほどの膨らみを帯びた紙袋と一輪の花。見上げた先にあったのは、凛とした表情。彼のそんな顔を初めて見た。
「不幸を半分分けてほしい」
『入道雲が絵画のように姿を見せる、ある日に向けた物語』
『一日一鼓 Ⅰ 』
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