眼ある先人たちや私たちが嫌う"世の理不尽"は、その本質は彼らが世の理不尽というものを究極的に理解し抜いてない、という構造になるのではないか。故にいくら告発的な内容を話したところで、絶対的に理不尽にいる彼らには届かない。故に仮にアンチが湧いたとしても、それは必然的に私の理解者である
言い訳をする、人のせいにする、「自分が正しい」しか主張しない人間は、最終的に孤立する。自分でその結果を招いたことに全く気付いていないから、「何も悪いことしてないのに」「どうしてこうなったんだ?」と苦悩のまま人生を閉じる。これを仏教では、自因自果という。大切なのは、謙虚になること。