現代人には失われつつある「陰徳」とは?
鎌倉時代の僧、日蓮宗開祖の日蓮上人の教えの一つに次の事がある。
陰徳あれば陽報あり
「陰徳陽報」と四字熟語で表され、その字のごとく「陰徳」とは隠れた善行、「陽報」とは良い報いの事で、善行とは自分のためではない他人のための良い行いであり、表立って評価されない行動こそが、ひいては自分を磨き、必ず良い事が起こるというものである。
「陰徳」という言葉は、古代中国・前漢時代の指南書「淮南子」、あるいは曹洞宗開祖の道元の教えをまとめた語録書「正法眼蔵随聞記」などにあり、はるか古代からすでに悟られ、教訓とされてきた言葉である。
陰徳と陽徳
誰しも自分の良い行いを目立たせ、できるだけ周りにアピールして評価されたいのが人情というものだが、それは「陽徳」といい、「陰徳」の対義語となり、これもまた古代中国の「陰陽道」の考え方で一対となっている。
陰徳と陽徳の大きな違いは、その「動機と目的」であり、同じ善行でも、その本質はまったく違い、場合によっては善行ですらなくなってしまう行動になる。
いっさいの「見返り」を期待せず下心なしの世のため人のための「陰徳」が実際にできている人は、古今東西を通じてどれぐらいいるのだろうか。
今回はこの「陰徳」について書いてみたい。
自因自果と因果応報
高校の仏教の授業だったか、法事の時の僧侶の法話だったか忘れてしまったが、こんな話を聞いたことがある。
良い行いからは良い結果が生まれ(善因善果)
悪い行いからは悪い結果が生まれる(悪因悪果)
どちらの行いも結果は自分に返ってくる(自因自果)
言い換えれば自分次第でその後の運命は変えることができるという事。
確かキリスト教でも同じような教えがあったように思うので、どの宗教・宗派においてもこれは共通事項であり、我欲を捨て他人のために働くことが「善因」だとされている。
正直なところ理屈ではわかっても、実行するのは難しく、ほぼ無理というものだ。
小さい頃に何かの折に触れ、よく祖父母などから「罰が当たる」とたしなめられたことがる。
その「バチ」の意味もよくわからないままに漠然と”怖いもの”と捉えて、自分の行動を反省したものだ。
大人になって純真さが失われると、そもそも神と仏の存在すらもあやふやなのにそんなのはただの迷信で、悪い行動を戒めるための方便だったのだと思うようになった。
しかし方便とはいえ、明らかに何か大事な目的が見えるような気がしていたのは、この「自因自果」や「因果応報」を信じていたからではないか。
「私」ではなく「公」に生きるということ
そこで思い出したのは現・山口県、長州藩の玉木文之進の事だ。
かつて自分の著書にも書いたが、
彼は教育者であり兵学者であり、また「松下村塾」の創始者であり、松陰の師でもあり、そして松陰の父・杉百合之介の実弟であるため血の繋がった叔父でもある。
彼は松陰の人格にもっとも影響を与えた。
この強烈なエピソードを初めて知った時、私は愕然として鳥肌が立った。
彼が厳しいのは他者に対してだけではなく、己に対しても同様で、幕末から明治の動乱での自分の弟子たちがした事の責任を取り、切腹して果てた。
それは決して悲観して死を選んだのではなく弟子たちを応援する気持ちを持ちつつ、結果的に大きな犠牲者を出してしまった事への責任を取ったのだと私に思える。
その壮絶な最期の介錯をしたと伝わる松陰の妹の千代(大河の主人公の文ではない)の手記を読んで、それらを想像してまた鳥肌が立った。
(詳細はここでは省く)
玉木の極端すぎる清廉潔白さと優しさと苛烈さに、本当にこんな人間がいたのかと驚いた。
この玉木文之進の教えは、吉田松陰から高杉晋作や久坂玄瑞、井上馨や伊藤博文にまで至り、明治維新を成し遂げる大きな原動力となった事を思うと、この一連の流れは善因善果ということなのだろうか?
多くの犠牲を払いながらも倒幕に成功し、新しい日本を構築したことは確かに大きな功績だろう。
しかし、この時の考え方が軍国主義へと発展し、その後の悲劇を生んだのかもしれないと思うと、果たして善果だったのかどうかは疑わしいものがある。
要するに歴史を見たら、自因自果と因果応報はたくさん転がっていて、山口県・萩という穏やかで美しい田舎町に住むたった一人の苛烈で潔癖な人間の教育から、日本全土を巻き込む大きなエネルギーを産み、歴史を大きく変えたのはまぎれもない史実である。
日本史を見ると、戦乱の時代は繰り返されている。
みなそれぞれ何に命を懸けてきたのかと考えてみれば、全て自らの立身出世のための「私」であった。
しかしこの幕末だけは、長州藩だけではなく各藩それぞれの中の「個」は日本を変えたいという強い思いで、「公」の目標を掲げて命を賭していた。
目標は同じでもそれぞれの正義や道筋が違ったための争いであり、その勝者と敗者は紙一重だったと言える。
明治維新までの一連の日本人たちの個々の動きを見ると、今の日本人と同じ民族だとは到底考えられず、逆に言えば、日本人が最も「公」に生きた特異な時代だったように思う。
現代での陰徳は実は陽徳では?
今や「公」に生きている現代人はどれぐらいいるだろう?
本来なら政治家こそ「陰徳」を心がけ「公」に生きるべき存在なのだが、とてもじゃないがそうではない。
みんな各々、自分の立場の保持しか考えていないように見えるのは私だけではないだろう。
身近なボランティア活動
私たち一般庶民ができる小さな陰徳とは、わかりやすく言えば「ボランティア活動」だろう。
例えば、自分が住む町内地区での役員や学校のPTA役員など、これらは基本的に報酬が発生しないボランティア活動である。
私も2人の息子それぞれでPTA本部役員や、地域の役員を何度もしてきた。
しかし、それは「陰徳」という認識には程遠く、結局は子供がお世話になり、自分たちが住んでいる地域だからこそ、当番としての役目を全うしたに過ぎない。
間違っても他人の誰かのためという自己犠牲的な考えなど微塵もなかった。
もっと悪く言えば、当番としての役目を果たしている事を、周りにアピールしていたのかもしれない。
真に地域や学校の事を考えたものでもなければ、他人のための「陰徳」でもない。
言ってみれば私のしたことは典型的な「陽徳」だ。
ところが最近の人たちは、この「陽徳」さえもしなくなってきている。
例えば全国的に地域の「子供会」が年々減っているのは、少子化だという以前に、親世代が役員になるのを極端に嫌がり、ただただ自分が嫌だからという手前勝手で単純な動機が原因ではないか。
子育てに最も肝心なのは、学校や地域との繋がりだと考えるのは、私たち世代が最後かもしれない。
受けた恩は岩に刻め。
貸した恩は水に流せ。
古来からこのように教訓とされてきたのを見ると、人間というものは、よほどこの反対になりがちなのだろう。
残念ながら「貸した恩」は無意識のうちにアピールして、いつまでも忘れないくせに、「受けた恩」はさらりと忘れてしまうのが一般の人間ではないか。
だからこそ、先人たちが教訓として遺している意味を少し考えてみるべきだと思う。
そもそも陰徳は陽報を期待してするものではないが、せめて自分の身の回りの物事は、自分一人の力ではなく、誰かが常に力になってくれているという事を忘れずにいたい。
聖人君子ではない私には「陰徳」を積むことはできないが、せめてもの「徳」は周りへ感謝する事だけなのである。
【参考】
・奥の枝道 其の三 山口・萩編 レキジョークル
・日蓮宗 いのちに合掌
・人間力のある人はなぜ陰徳を積むのか 三枝理枝子 (著)