気づきから行動へ
私は個々人の活動の詳細を知るほど物知りじゃないし、人がどういう活動をしていてもその中身自体にあまり関心はないのだけども。
でもハッキリと分かるんだよね。「何かやらなくちゃ、今よりもっと・・・」と、少しでも行動を起こす人たちの輝きはいつもとても眩しくて。
それは決して大層な事じゃなくて、たった1ミリの行動だけでも良くて。むしろ自分の力にしていくのなら、10センチより1ミリがいい、無理が少なく続けていきやすいから。
やってる事が世間に対して、為になるとか、これに意味はあるのかとか、全く関係なくて、純粋に自分が行動に移せたことをまず自分が喜び、認めて褒めて欲しい。
誰かの言動がきっかけになる事はあるのだけど、気づきを気づきで終わらせず、行動まで持っていく事に力がいる。
それが出来た自分を認め、感謝を伝えてあげる。これはバカバカしい事じゃなくてとっても大切な事と、続けるほどに分かると思う。
この話はチョクチョク私が書く「やろうとしない」というのとはステージの違う話。何でも取り入れる前にまず「自分に合ったもの」を選択しようね。
今日も1ミリだけでいい。自分の気づきを行動にしていこうね(*^^*)
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先日、「自因自果」という言葉を知った。仕組みとしては大半の人が知っている事。そうなんでしょうけども、【囚われるな、意識はいつも自由】と私は思った。
悪い事を考えているから、こういう気分でいたから、それを引き寄せてるんじゃないから。
そんなに”達成力”が強いなら、良い事も引き寄っているはずだからね(笑)
「思考のクセ」がフォーカスする内容が「悪い」だったり、「良い」だったりするだけ。
だから【良い】を創る為にフォーカスする(意識を持つ)という考え方も理解はしている。
もひとつ超えて。
「悪い」でも呑み込める自分を信頼していく。
その結果を「イヤな結果を受け容れるのが怖い」から、原因を作らないようにしようと、するんだよね。
「良い事を思っていたらそれがやってくる」から。
そのような在り方でいようとする事も素敵と思う。でももしチャンスが何度も来ていると感じるならば、乗ってみても良いのかもしれないよ。
「チャンスが来ている」と感じるには”自分ジシン”との繋がりが強固になっている事が前提と思う。自分との関係がしっかり築かれていないと、悪い結果を受け取る事は「怖い」と感じる事なので。
若い人の前でこう書くと「うわ~時代、時代~」とか思われるかもだけど(笑)、「覚悟」がいるね。肚を括るとか、決心するとか。「やってみて何かなったら、その時は仕方ない。4ぬ訳じゃないし…。」
と、どこまで自分を放り出してあげられるかなんだね(*^^*)
例えば私が20代、30代の頃を振り返ると、特に何ができた訳でもないのに失敗したらどうしよう、と考えた事はあまりなかったように思う。今の人たち程頭も使っていないくせに…(それは今でも同じか)。
ただ、「しっかりと目の前の事に精一杯を尽くす」という事だけは心がけてきたつもりで、それが何かの時の自分を信頼できる「自信」になっていたものと思う。
自分のスタンスをしっかり決める(決意)と、その在り方に沿うような出来事を迎えるようになる。「人生」が自分の意志を応援するかのように動き出す。
思い通りになっていくのではなく、様々な事に対処できる自分になっていける。そこから段々としなやかに、「やろうとしなくても、任せておけば大丈夫」という殆ど安心の上での行動になっていく。
任せる相手はよく「宇宙」と言われているけども、私はよく分からないので、「自分または人生」と書こう。
(先日のノートより)
もしも。
もしも人は「そもそも○○の存在」と言うならば、私は「愛」と言う。人に対しては「愛」と言えるのに、自分に対しては「何かいいのかな…」の「罪」と捉えるならばそれは厳しいなぁ。
元々何も持っていなくて、環境から習得・身に付けた捉え方・考え方で左右しているだけ。私たちは、どちらでもなかった、どちらでもあった。