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仏教に学ぶ生き方、考え方「一緒になる人に求めること」
これから一緒に生活をしていくパートナーができたとして、そういう方にあなたは「何を求め」ますか?
また、どういうところを「大切にしたい」と思っていますか?
例えば一緒になった人がしばらくすると「思ってたんと違う」と思うことは、誰にでもあると思います。
そしてそれがちょっとしたことでも気になるとついつい相手に直してほしくなるものです。
「こういうところ直してくれない?」と伝えると、言われた方は気分が良いものではありません。
「そういう前にここが嫌なんだよね」「私はもっと我慢してるのに」などと思ったり言ったりしてしまうものです。
そういうことが何十年も積み重なり、「離れたいけど離れられない」ような状態になられている方は多いと思います。
そういうときに、パートナーがこうなったのは「自分」に何かの原因があるのかもしれないとは考えにくいものです。
もっと言えば「この人」と一緒になろうと思ったのは自分なのだとまで「原因を遡れない」ものです。
でもそう考えるとトラブルのすべての原因は「この人とのご縁を選んだ」自分にあるのですよね?
そういう「大きな眼で観られるかどうか」は実はとても大切だと思います。
仏教では「諦観」(たいかん)とも言い、諦(あきら)かに観ること、つまり「諦める」ことが大切なのです。
そう言われると、何か自分の判断が「失敗だった」ように感じますが、そうではなく、今の状況を「違う視点」で観るだけの違いです。
そうすると「私が気づかないものだからいつもイライラさせてごめんね」「こっちこそ、いつもしっかり支えてくれてありがとう」という言葉が伝えられ、不思議と「求めるような人に変わってくれる」のだと思います。
☆今日の一句☆
他人(ひと)のせい?
自因自果だよ
よく観よう