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真の愛と偽りの愛
30年以上大人社会で仕事をしていると世の中の職場における多数意識というものが見えてきます。
「嫌な仕事はしたくない」
「指示されるまで自分から余計なことはせずに黙っておく。指示されれば嫌な顔をしながらそして不満であることをアピールしながら仕方なしに動く」
「嫌な仕事はお互いに他に押し付け合う」
「なぜ自分ばかりしんどい仕事をしなければならず他は知らん顔をして楽に過ごしているのか不公平だと周りや上司に対して不満に思う」
「責任は取りたくない」
「責任のある仕事はしたくない」
「お金は欲しい」
「自分の仕事の範囲を自分の判断で決め、それ以外の仕事はしないしする義務もないと考える」
「自分の私物は大切にし手入れや掃除をするが会社のものは粗末に扱い汚れていても構わないしそれを見ていても心が傷まず平気である」
「自分は頑張っている。これだけ頑張っているのに正当に評価がされず不満である」
・・
このような多数の意識に対し経験豊かでいわゆる良識のある管理職はどのような対応と教育をするでしょうか。
そのまま自分の思ったことをストレートに話すでしょうか。
又は理を持って相手を納得させるでしょうか。
必要と判断した時はやむを得ず計画的に対象の相手を怒らせこの場から去るように仕向けるでしょうか。
それとも変化球で気づきを促すような遠回しの表現で伝えるに留めるでしょうか。
自分の行動を見せその背中で導こうとするでしょうか。
または相手の人間性や器量、度量の限界を見切り、刺激をせず、時に褒め殺しなど様々な手法を使いながら反発をかわし、いなしながらうまく扱うことに徹するでしょうか。
・・
私たち人間には往々にして他者からの愛を恨みで返します。
ですが、私は逆恨みをする人間に対してだけではなく発信者が発するその愛が真の愛かどうかについて考えることがあります。
私たちはその愛が真の愛と信じて疑わず相手にそれを届けますがそれは時に自己中心的な偽りの愛であることがあるように思います。
先日新しい上司と話をしており、このような上司の経験談を聞かせて頂きました。
「クレーム対応など皆が嫌がる仕事において率先して矢面に立ち対応をしてきた」
「誰よりも早く出社し他の従業員が出社するまでに掃除を済ませ、そして誰よりも遅い時間まで働いてきた」
「その背中を他の従業員に見せ彼らの心を動かそうとしてきた」
「しかし駄目だった」
「更に私の上司もそれを認めてくれることもなかった」
・・
そのような話でした。
これは他人事ではなく私自身が経験してきたことでもあります。
その心情は痛いほど分かります。
「自因自果」「自己責任」
誰が裁くでもなく、私たちの現在の行いが自身のその後の運命を決めその結果は全て自分自身に返ってくるのだと、誰のせいでもなくすべては自分自身、変わるのも変わることが出来るのも、そして自分を救えるのも本人だけなのだと改めて思わされます。
季節は秋、身も心も冷ややかな空気を感じます。
・・・
end
(本記事は全文無料公開記事です)
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