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エッセイ 3大政党制

11日前

エッセイ 桂園(けいえん)時代(「えいおん」を「けいえん」に訂正します)

2週間前

犬養毅に思いを馳せる

本当に革命かクーデターが起きるかも

連載日本史216 明治から大正へ

東海林直人のゴロテマ日本史◇近現6(ノルマントン号事件~2大政党)

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1年前

開業169年の鉄道一流国インド🇮🇳から見た開業150年の鉄道三流国日本🇯🇵③日本のレールはなぜ変われないのか

■【より道‐29】人は死ねども刀は残る_白虎隊の脇差②

憲政の常道(1924~1933)は議会政治と言えるのか②-政党自身における問題-

■【より道‐30】人は死ねども刀は残る_白虎隊の脇差③

憲政の常道(1924~1933)は議会政治と言えるのか①-制度上の問題-

「息子からの質問が高度過ぎる件」の話

無駄に教養が付くかも知れない講座 このご時世だからこそ学ぶべき「昭和」の教訓ACT1 日本はなぜ「あの戦争」に突入したのかを探る。 その7

帝人事件考察

3年前

【百年ニュース】1921(大正10)7月3日(日) 野党系の院外団を中心とした綱紀粛正会が芝浦で第1回大会開催。押川方義,大竹貫一,湯浅凡平ら現役の衆議院議員が登壇し政府を批判。一方,山口正憲一派の壮漢数名が会場で野党憲政会を批判するビラを配布。取り囲まれて袋叩きに遭う。

【百年ニュース】1921(大正10)3月13日(日) 元満鉄課長の山田潤二が上京,満鉄疑獄事件がヒートアップ。山田は塔連炭鉱買収関連の社内文書を東京日日新聞にリーク,翌月には『赤心録』を出して告発した。野党憲政会は同書を渦中の与党政友会森恪の選挙区に配布し攻撃を強めた。

17 立憲政友会の成立

選挙粛正運動考察

3年前
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【百年ニュース】1920(大正9)5月5日(水)総選挙まで残り5日。与党政友会の優勢が伝えられる。争点は普通選挙の可否。今回の選挙権資格者は納税3円以上で、既得権が希薄化する普選には淡泊。解散前に普選実施を求めた野党憲政会は選挙演説で普選要求を封印し迷走。また与党による選挙干渉も露骨。

【百年ニュース】1920(大正9)5月10日(月)第14回総選挙。原敬首相が率いる与党政友会が大勝。解散前の162から278へと議席を増やし、単独で絶対多数党の地位を獲得した。野党憲政会は都市部善戦も幹部の片岡直温,加藤政之助,小寺謙吉,町田忠治が落選。普通選挙運動は下火に。

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【百年ニュース】1920(大正9)4月30日(金)第14回総選挙まで残り10日。各党ともラストスパート。原敬の持論であった小選挙区制が前年の選挙法改正で導入されたあと、初めての総選挙となる。有権者資格は納税10円以上から3円以上に引き下げられ有権者数が280万人に倍増した。

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【百年ニュース】1920(大正9)6月4日(金)政友会本部が内幸町にビル新築予定と発表。前年1919(大正8)10月に芝公園の政友会旧本部は放火で焼失。以来本部は仮建物、懇親会は精養軒や三縁亭を都度借りて運営。新しい土地は元々満鉄所有で中村精七郎(山九創業者)の手を経て買収。現在は東京電力本社。

戦前政党政治の功罪⑧ 政党政治に自ら引導を渡した立憲政友会

戦前政党政治の功罪③ 大正デモクラシーを前進させた軍人内閣

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【百年ニュース】1920(大正9)6月15日(火)政友会本部放火事件の公判が始まる。控訴審も経て翌年7月に判決が確定し、主犯の憲政会壮士河本恵治(29)が禁錮15年、共犯の鳥取3区(境港)選出の元衆議院議員渡邉芳造(59)は高齢を理由に一審判決懲役2年から5カ月に減刑された。

教科書が教えない軍人伝⑧ 岡田啓介(1868~1952年)

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【百年ニュース】1920(大正9)9月15日(水) 立憲政友会の立党20年記念祝賀会開催。芝の本部に原敬総裁はじめ党幹部,所属貴衆両院議員,在京院外団,地方代表ら1,500名が出席。当時の党幹事長は広岡宇一郎。総務委員は岡崎邦輔,望月圭介,鵜澤總明,山本達雄。春の総選挙大勝,絶頂期。

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【百年ニュース】1920(大正9)7月19日(月)大阪市議会で城東線払下げ反対決議。前年鉄道院は事故の多い城東線の高架化を決定。廃線となる城東旧線を京阪電気鉄道(岡崎邦輔社長,政友会議員)に払下げる契約を野党が問題視。大阪市議会は憲政会優位。

【百年ニュース】1920(大正9)7月28日(水)第43議会終了。八八艦隊予算(7億6,000万円)成立。所得税増税等が財源。衆議院では大多数を占める与党政友会が高飛車な議会運営。対する野党憲政会は連日院外団も巻き込み稚拙な乱闘騒ぎを仕掛ける。議会政治への国民の失望広がる。

【百年ニュース】1920(大正9)7月12日(月)衆議院で野党(憲政会,国民党)提出の普通選挙法案が否決される。同法案提出は普選を望む国民の期待と注目を集めたが、当日は野党の稚拙な演説(田渕豊吉ら)により滑稽劇となり、失望を呼んだ。普選運動は一旦下火となり無政府主義者による直接行動が活発化。

戦前政党政治の功罪⑨ 第3次護憲運動を起せず陸軍の横暴に沈黙した政党人

戦前政党政治の功罪⑦ 統帥権干犯を政争に利用した犬養毅と鳩山一郎

戦前政党政治の功罪② なぜ原敬内閣は「本格的」だったのか。

戦前政党政治の功罪① 政党内閣時代への道

【百年ニュース】1920(大正9)5月8日(土)選挙戦最終盤。投票日5月10日は晴れの予想。議席は与党政友会の大勝と予想された。初めての小選挙区制による選挙であったが、有権者が倍増し必要な選挙資金は高騰。のちの政友会幹事長森恪が神奈川7区より初の出馬。塔連炭坑を満鉄に売却し選挙資金を調達。

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【百年ニュース】1920(大正9)5月13日(木)初代鉄道大臣に元田肇が内定。15日に鉄道院を鉄道省に格上げ。「岡崎邦輔を招き今回鉄道省には君を採用したき考えなるも元田肇を差し置きては面倒なればこの際辛抱してくれよ、数十年来の友人ゆえに内談したしと云いたるに岡崎快諾したり(原敬日記)」

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【百年ニュース】1920(大正9)5月14日(金)「山県を訪問し元田肇を鉄道大臣に、大木遠吉を司法大臣に、山県伊三郎を関東長官に登用の旨を告げ山県異議なく、山県伊三郎のことについては本人も希望の様子につき(原敬日記)」「どうも原は偉い。電車も製鉄所も治まった(山県の弁:松本剛吉日誌3/1)」

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【百年ニュース】1920(大正9)5月15日(土)原敬内閣が初めての改造。首相兼任だった司法大臣に大木遠吉。新設の鉄道大臣に元田肇。同じく新設された国勢院の初代総裁に小川平吉。国勢院は内閣統計局と内閣軍需局を統合改組したもの。10月に日本で初めてのセンサスである第1回国勢調査を実施した。

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【百年ニュース】1920(大正9)8月13日(金)与党政友会の政務調査会開催。現在の自民党政調会のような事前審査制ではないが各部会に分かれ政府と直接政策協議。政党主導の政策決定過程の萌芽が見られた。政調会長は現役閣僚(逓信大臣)野田卯之助が兼任。原敬総裁が「実際を離れた空論」無きよう訓示。