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開業169年の鉄道一流国インド🇮🇳から見た開業150年の鉄道三流国日本🇯🇵③日本のレールはなぜ変われないのか

こんばんナマステ💚💚🧡💙💙❤️Kyoskéこと暑寒煮切(あっさむにるぎり)だよっ⭐️

インドに鉄道ができて169年半、日本に鉄道ができて150年、

技術でいえば日本はインドより4分の3世紀進んでいる。インドはまだ独力で高速鉄道(200km/h以上で走る鉄道だけど近年は250km/hが基準になりつつある)を完成させていない。

通勤電車が2分前後の間隔で走ることもできないからムンバイなどでは日本の比じゃないほど混雑する。

だけれども、169年前のインド総督ダルハウジー卿の慧眼で世界最強のレール、1,676㎜のインディア=ゲージを手に入れたインドと、自前でやりたいため身の丈にあったレール、1,067㎜のケープ=ゲージを採用せざるを得なかった日本では基礎的なスペックが全然違う。

ゆえに4分の3世紀の技術差がありながら、印日の在来線の最高速度は同じで、かつインドの方が線路が揺れず安全性が高い、ということを2日間書いてきた。

それでもこの150年間、日本は軽自動車でサーキットを走るような苦難を甘受してきたんだろうかといえば、それは違う。

むしろ開業当初からどうしてイギリス本国の規格である1,435㎜のスタンダード=ゲージにしなかったのか、という批判はあったし、今もされていている。

それでも150年間、本格的にスタンダード=ゲージに改めることはできなかった。

150年間のなかでそのチャンスは3回あったと思う。

そしてそれは日本がスタンダード=ゲージに手を出した3回でもある。

最初のチャンスは朝鮮半島や中国にスタンダード=ゲージを敷設した時。

日本が大陸での鉄道敷設にあたってスタンダード=ゲージを採用した理由は、将来的な欧州との直通を考えてなのかというと多分違ってて、

19世紀末、李氏朝鮮末期に朝鮮半島初の鉄道が京城(現ソウル)と仁川の間に敷設される際、当初はアメリカの実業家モールスにその権利が与えられたのでアメリカの規格であるスタンダード=ゲージをそのまま採用したというのが大きいと思う。

資金難でモールスから渋沢栄一に敷設権が譲渡され、そのままスタンダード=ゲージで建設続行。所有権の移転を繰り返し、1910年の韓国併合を以て朝鮮総督府の持ち物になる。

また、1905年に日露戦争で勝利したことで、日本はロシアから南満州鉄道を得た。ロシアは欧州からの侵攻を恐れてスタンダード=ゲージではなく1,520㎜のロシア=ゲージを採用していたため、南満州鉄道は朝鮮との直通を考えてスタンダード=ゲージに改められた。

19世紀末には日本初のスタンダード=ゲージである阪神電車が開業していたけれど、国の鉄道としては20世紀初頭に朝鮮と満州で初めてスタンダード=ゲージを手に入れたことになる。

もうひとつのエポック=メイキングとして1906年に鉄道国有法が成立して国鉄、JRの前身である鉄道院ができた。

1906年に南満州鉄道、1908年に鉄道院の両方で後藤新平が初代総裁に就任、後藤は日本の国有鉄道もスタンダード=ゲージに改める考えを持った。逆輸入やね。

この当時の価値観は速度よりも輸送力の面でスタンダード=ゲージに改めるというものだった。

当時まだ朝鮮半島まで海底トンネルを掘る発想はなかったけれど、朝鮮や満洲と規格を合わせればランニング=コストが下がるしね。

なお、現在スタンダード=ゲージは標準軌と直訳されるけど、当時は広軌と呼ばれてケープ=ゲージの狭軌と遂になっていた。

ところが、原敬率いる立憲政友会がそれに反対しておじゃんになってしまう。

立憲政友会は今の路線を「広軌」にするよりも、低規格でも構わないからおらが村に鉄道を寄越せ、という考えを掲げていた。

原敬は薩長土肥ではなく岩手県の人だし、そういう全国のまだインフラが整ってない地域の代表達がそういう声を上げていった。

そして後藤新平とは真逆のことを思いつく。幅1,000㎜未満のナロー=ゲージによる軽便鉄道なら全国あちらこちらに路線網を構築できるではないかと。

昨日書いたようにミディアム=ゲージが狭軌、ナロー=ゲージが特殊狭軌と意訳されるのはそんな歴史的背景がある。

そんな軽便鉄道はほとんど残っていない。必要性の認められた路線はケープ=ゲージに格上げされ、そうじゃない路線はとっくに廃止されてしまった。

だけど、まだ自動車の普及していない時代、全国津々浦々に公共交通機関を整備したことは功績。そしてその沿線は今でもその地域での人口密集地になっていることが多い。

鉄道史において功罪ともに大きい原敬が東京駅で殺されて説明板が置かれているというのは何かの偶然だろうか。

ということでスタンダード=ゲージに改める最初のチャンスは潰えた。

それでも日本列島にスタンダード=ゲージを敷くことを諦めなかった人達が満洲や朝鮮でノウハウを積み重ね続けた。鉄道技師の島安次郎・秀雄父子は有名だね。

そしてその想いは戦時中の弾丸列車計画を経て、戦後の東海道新幹線へと結実していく。

念願の日本本土へのスタンダード=ゲージ敷設、これを機に在来線もスタンダード=ゲージへ改めよ、という新聞の社説が1964年当時にあったと記憶してるんだけど、ちょっと検索した限りは見つからない。

超有料級の記事じゃないから許して😝

でもホントこの時が2度目のビッグ=チャンスだと思う。実現していればどんなに良かっただろうか。

そうはならなかったのは戦前と同じで、全国津々浦々にローカル線の敷設が優先されたため。

また、鉄道よりも道路の敷設が優先されたということもある。もう鉄道が独占する時代ではなく、国鉄はちょうど1964年から赤字に転落する。

赤字なのに何故全国にローカル線が敷かれたのかというと、郵便貯金、簡易保険、年金などから高利子で借りていたから。故にこれらの運用はホクホクで全国にかんぽの宿とかそういう利益還元施設まで造られた。

これによって国鉄は多額の債務を背負い、同じスキームだった道路公団も同じ道を辿り、双方とも分割民営化されることになる。

ところで東海道新幹線は輸送力増強のために生まれたけれど、蓋を開けてみれば当時の世界最速210km/hでの運転が国内外で注目され、日本中で新幹線を欲しがる声が出て、海外でも高速鉄道の建設や在来線の高速化の動きが続いた。

1970年代後半から1980年代前半にイタリアやフランスで開業した高速路線は、在来線もスタンダード=ゲージであることを活かして大都市近郊では在来線を走行して建設費を抑えたり、支線に乗り入れて地方都市へ直結するネットワークを創り上げた。

レールの幅の統一をせず新幹線と在来線を全くの別物として運用していたこの当時の日本にはなかった発想だけど、輸送力ではなく速度に注目していたからこその発想でもある。

仮に日本でも新幹線と在来線のレールの幅が同じだったとしても東名阪で在来線を活用することは不可能だったと思う。

現実にパリ近郊では供給力が追いつかず、TGVが思うように増発できないために2階建車両ばかりになっており、それが故に機関車と客車という効率の良くない構成からも抜け出せない。

しかしそれは大都市の話であって、地方都市では欧州のような方式が望まれたはず。

国鉄はこのような現実を知ろうともしなかったけど、JR東日本は真剣に取り合った。

在来線をスタンダード=ゲージに改め、在来線サイズの車両を投入して、東北新幹線の恩恵を直接受けられない山形と秋田へ新幹線経由の直通特急を東京から走らせ、ミニ新幹線と名付けた。

結果として大成功で、JR東日本はもっとミニ新幹線を増やしたり、全線をスタンダード=ゲージにすることも考えていたようだけど、結局山形新幹線を新庄まで伸ばしたほかは後に続くものもなく、四国や山陰などでミニ新幹線化の要望もあったけど実現していない。

理由は色々あるけれど、例えば貨物輸送をどうするだとかで、いち企業の判断だけではどうにもならないってことが一番大きいんじゃないだろうか。

ミニ新幹線の効果は絶大だとわかった時点で国策に上らなければならなかったけど、そうはならなかった。

ということで、在来線のスタンダード=ゲージ化は日露戦争後の満洲・朝鮮との互換、東海道新幹線開業、ミニ新幹線導入の3度のビッグ=チャンスがあったもののすべて頓挫した。

最初のチャンスで夢見た日本本土へのスタンダード=ゲージ導入が次のチャンスで部分的に実現し、次のチャンスですべきだった在来線のスタンダード=ゲージ化がその次のチャンスで部分的に実現したともいえる。

日本が大半の鉄道を建設した韓国では高速鉄道KTXが自在に地方都市に乗り入れ、

満洲を中心に強く関与した中国は世界2位の総延長を誇り、350km/hの高速専用線とは別に150〜250km/h程度で高速列車と普通列車が混在する路線も整備できている。

また、国外への進出も積極的でタイ国境の短い区間を除き鉄道が通ってなかったラオスにスタンダード=ゲージを敷いて昨年開業したほか、ロシア=ゲージ圏の中央アジアにスタンダード=ゲージを通して中東のそれと接続させる計画が進んでいる。

東海道新幹線が210km/hで走ったことで、世界的に200km/h以上で走らせるようになるけれど、その大半がスタンダード=ゲージで、ブロード=ゲージのスペインやロシアなどが多少。

日本をはじめとしたミディアム=ゲージの線路の営業運転でそれを出したことは一度もなく、東海道新幹線の開業は皮肉にもこれまでミディアム=ゲージでなんとか頑張ってきた日本が鉄道三流国であることを自認してしまった。

何にせよ日本はスタンダード=ゲージが世界の鉄道のデファクト=スタンダードになっていくのに実はイギリス、アメリカ、フランスと並んで関与している。

なのにその恩恵を限定的にしか受けれてない😢

日本がレールの大半を広くできるチャンスはまた来るんだろうか。そしてその時には4度目の正直が起こるんだろうか。

これに対してインド国鉄は、実は1947年の独立時点でインディア=ゲージは鉄道総延長の46%に過ぎず、ケープ=ゲージよりもスペックの低い1,000㎜のメーター=ゲージが44%と幅を利かせていた。残り1割は山岳路線を中心にしたナロー=ゲージで762㎜と610㎜がある。

それが今となっては95%がインディア=ゲージ。インドも独立時点では実は三流と言って良かったけど、ここまで頑張ったんだよ。鉄道総延長も全然違うのにね。

自分のペンネームに引っ掛けていえば、アッサムやニルギリもメーター=ゲージだったけど、今はアッサムはもちろんニルギリの山の中はそのままにしても麓まではインディア=ゲージになった。

そろそろ日本の鉄道ファンもショック死なんじゃない🤣

次回は日本の鉄道の2つめの蹉跌を見ていきたい。

それじゃあバイバイナマステ💚💚🧡💙💙❤️暑寒煮切でしたっ✨



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