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エッセイ 3大政党制

 以下の文章は、政治にも歴史にも素人の人間が、血液型的性格分類に基づいて、自由気ままに、政党政治を論じたものですので、独断と偏見、事実誤認に満ち溢れたものだということをご了承いただける方のみ、お読みください。

 2大政党制という言葉があります。保守政党と革新政党が対峙し、政権を取り合う状態で、イギリスの保守党と労働党、アメリカの共和党と民主党が有名です。近年、日本もその真似をしようとしていますが、私は日本には馴染まないと思っています。イギリスもアメリカも基本的にA×Oの構図です。だから2つの政党でいいのです。しかし日本はAとOとBが拮抗しています。それぞれの政治的受け皿が必要です。A型的政党、O型的政党、B型的政党の3つが並び立つ3大政党制がふさわしいと考えます。
 明治維新以降、長く続いて来た薩長の藩閥政治が終わった後、大正時代の後半から政党政治が盛んになってきました。大正の末期から、立憲政友会と立憲民政党(前身である憲政会時代含む)という2つの政党が政権を奪い合う状態が1937(昭和7)年の5・15事件まで続きました。伊藤博文が作った立憲政友会は、保守的で、体制側に迎合的な政党でした。これがA型的政党と言えましょう。一方の立憲民政党はO型的、中道右派とでもいうべき政党でした。B型的社会主義政党はほとんど禁止状態だったので、政権政党の対象にはなりません。期せずして、2大政党制に似た状況が現れました。しかし、立憲政友会は御用政党のような存在だったので、正確な意味での政党ではありませんでしたし、社会主義的左派政党が認められていなかったという、いびつな政治状況であったため、健全な2大政党制にはほど遠かったと思われます。
 やがて戦争の時代になると、政党がすべて消滅するという異常事態となります。政党はすべて強引に解散させられ、大政翼賛会というA型的政治組織に一本化させられます。中国の共産党一党独裁のようなものです。
 戦後になると、戦前のA型の失敗を反省して、A型は大人しくなります。B型左派政党である社会党が台頭してきます。A型政党も自民党として復活しますが、自民左派が主流となり、本来のA型である自民右派は、傍流に押しやられてしまいます。自民党の左派が、O型的中道の役割を果たしていたと言えるでしょう。この段階での自民党×社会党の構図も、A型が日陰に押しやられ、A型である自民党が中道の役割も果たすという歪んだ状態でした。もっとも、自民党というのは自由党と民主党がひとつになってできた政党ですので、もともと間口は広かったと言えます。しかも自民党と社会党の間での政権交代はありませんでした。やはり本来の2大政党制とはいえないものでした。
 1991(平成3)年に、ソ連が崩壊して、社会主義が世界的に衰退してくると、日本でも社会党がなくなり、自民党の左派が、今度は冷飯を食わされる時代がやってきます。2000(平成12)年の森内閣以降、自民党右派が満を持して復活してきます。遠く、岸内閣に源を発する、福田、森、小泉、安倍とつながる流れです。(岸は安倍の祖父です)自民党が右傾化し、ぽっかりあいた中道、特に中道右派に公明、維新、国民、中道左派に立民がいるという感じでしょうか。
 今回の選挙では、自民党右派が大幅に議席を減らし、中道政党が躍進したことになります。この流れが一時的なものに終わらなければ、そして中道政党がもっとまとまって大きな力をもつようになれば、A、O、Bが並び立つ3大政党制となるのかなと思います。日本をこよなく愛する人はAを、アメリカについていきたい人はOを、アジアと仲良くすべきだという人はBを選べばいいと思います。


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