天正9年(1581)12月24日は武田勝頼が躑躅ヶ崎館から韮崎の新府城に本拠を移した日。しかし完成していたのは勝頼の居館や本丸門などの一部でしかなく他の曲輪の造成や矢倉や塀などの造作はほぼできていなかった。徐々に織田と徳川の包囲網が狭まると勝頼は翌年3月に城に火をかけ退去した。
天正9年(1581)12月24日は武田勝頼が躑躅ヶ崎館から韮崎の新府城に移った日。織田徳川の包囲網が狭まり僅か2ヶ月あまりで城に火をかけ退去。偉大な亡父信玄は人は城と言いましたが裏切りが続出し新しい城に頼るも使えなかった勝頼。大河ドラマ真田丸の冒頭での勝頼の悲哀が思い出されます。
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