日本の100名城制覇!(山梨県編/武田氏館、甲府城、新府城、要害山城)
【武田氏館】
武田氏館は甲府駅からバスで「武田神社」まで行き、そこから徒歩すぐの場所にあり、「日本100名城」に選ばれています。
武田信虎が1519年に石和から館を移したことに始まり、信虎・晴信(信玄)・勝頼の3代にわたって60年以上続きました。
ちなみに、「躑躅が崎」と呼ばれる尾根の先に居館が築造されたため、武田氏館は「躑躅が崎館」とも呼称されます。
武田氏滅亡後も甲斐国統治の中心として、織田氏・徳川氏・豊臣氏配下の重臣らによって再利用されました。
そして、甲府城の築城後、館は廃城となりました。
1919年(大正8年)、館跡の一角に武田信玄を御祭神とする武田神社が創建され、現在に至ります。
【甲府城】
甲府城は甲府駅から徒歩約5分の場所にあり、「日本100名城」に選ばれています。
ちなみに、甲府駅北口にある郵便ポストは背がすごく低かったです(いったいなぜ?)
甲府城前にある横断歩道の押ボタンの背もすごく低いです。
甲府城は武田氏の滅亡後、豊臣秀吉の重臣・浅野長政らによって築城されました。
関東の徳川家康を見張るための城として、豊臣秀吉が築かせたと言われています。
1598年に秀吉が病死し、1600年の関ヶ原の戦いで家康が勝利すると、甲府城は徳川一門によって支配されました。
徳川綱吉の側用人・柳沢吉保が城主となった際に城の拡張と修築が行われ、城下町が整備されて大きく発展しました。
しかし、享保年間の大火によって本丸御殿や銅門が焼失します。
そして、明治になると甲府城は廃城となり、主な建物はほとんど破壊されました。
ちなみに、天守台からの景色は圧巻で、富士山も見ることができました!
【新府城】
新府城は新府駅から徒歩約5分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。
新府城は、武田領国の防衛体制を強化するために武田勝頼によって築城されました。
築城には真田昌幸をはじめとした重臣たちが深く関わり、新府という名は新しい府中(武田領国の首都)を示しているとされます。
1581年の暮れに新府城に移った勝頼ですが、1582年に織田信長の軍勢に攻められ、在城わずか68日で勝頼自ら城に火を放ち逃れました。
見事な丸馬出や三日月堀があり、武田氏の築いた集大成の城郭とも言われています。
新府城跡からは富士山も見ることができ、空気もキレイで心身ともにリフレッシュすることができます。
【要害山城】
要害山城は甲府駅からバスで「積翠寺駅」まで行き、そこから徒歩約15分の場所にあり、「続日本100名城」に選ばれています。
要害山城は、武田信虎が石和から甲府の武田氏館に居館を移した際、その詰城として1520年に築かれました。
武田信玄はこの要害山城で誕生したと言われています。
武田氏滅亡後に甲府城が築城されると、要害山城は廃城となりました。
YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇