日常と非日常の区別はあまりないような、 どれも自分の意思で日常の中に組み込まれているような感覚を覚えているこの数日。 同時に、自分の中にある記憶とそれにまつわる感情が呼び覚まされている。
感覚で凄い!と捉えたことも、 思考が働き始めるとにわかに怪しく感じるのは、 感覚と思考がアンバランスで、 自分自身だけの侵蝕されないエリアを、 誰かの正しさで侵蝕された自分が、 自分自身で疑うから起こること💦 つまり、現象を信じられないのは、 自分を信じられていないことの証拠。
論理的思考は誰かに説明するためのものかなーと。 かつ、そもそもの前提が同じか、認識のすり合わせができる関係性でしか成り立たない。 自分の中では、理屈なしに感じたことが答えになることが多い。 思考は後付けかなー💡🌱