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環状線を寝過ごして、思考の感覚が紡げたこと

9月末。もう、秋、

そう書き始めないと終わらない気がするくらい、書けてない。

ずっと、その理由を思っていた。
毎日に抗わず自然に流されて、でも戻ってくる感覚。

ことばを紡げない私の話を聞いて欲しい。6.12 Sena.
  
約3ヶ月前の私を振り返ると「同じようなことを言っているんだな」とため息を吐きたくなって、違和感を感じた。

それをどうにか言葉に出来ないかと考えていたら、環状線を乗り過ごしたことを思い出した。

平坦な 「そんなこともあるよね」

業務委託の仕事帰り。(仕事、これはまたいつかの話。)

イヤホンをつけて電車に乗るのは、ラッシュに入りかかる頃。人が少ない路線、私は座って携帯を手に作業を開始する。プライベートの連絡、仕事の返信、カレンダーと相談。環状線に乗り換えて、検索して考えて写真の編集さっきの返信・・・ 体力を疲れが上回る数秒前、携帯をかばんに入れる。

その日は、綺麗な夕陽を背景に交差した飛行機雲を見た。写真を撮りたいと思った。今どこにいるのかは確認しなかった。
目が覚める。違和感。人が、少ない。辺りを見渡す。電車が止まる。そして駅の表示を見て気づいて、脱力した。

慌てたところで、私が乗っているのは環状線。後に予定は入っていない。・・・いや、それは語弊があるけど 慌てて帰ることはない、普通に戻ればいいだけ。「そんなこともあるよね」と平坦に思った。久しぶりの感覚。やっぱり睡眠は大切だとかいう言葉が頭をよぎる。いや寝てたって15分程度だろう、いやそれで帰りはどれくらい遅くなるの、言葉が頭を交差する。

「そんなこと言ったって環状線なんだから。」今日はこれが優勝。
私は座り直して仕事を進める。夕陽が居なくなった空を見る。

思考の感覚を表現した、環状線。

環状線のように回ってくるそれ、流れて消えたり戻ってきたりする思考。
私の乗っていた電車は車庫入りするらしく、その日は3回の乗り換えをした。そんなこともあるよね と呟く。

最近、思考の数は多くなって質が変わった。「考えなければ忘れたことにすれば。」「でもそれで本当に良いの?」そうやって、また思考していることに私は呆れてしまう。それでも私は考えたいようで、とても私らしい。

そんな私に「そんなこともあるよね」と平坦に思う。
私はこの ”平坦に思う” 感覚が嫌いじゃない。受け入れず抗わず「そうなんだね」と事実を、そのままにして。

「日が短くなったね」「もう秋だね」そう言うのと同じかもしれない。


季節は変わっていく。

今月半ば、「階段を登る怖さを今日も」というタイトルで言葉を紡ごうとした。まだ一行目のまま、環境も私も変わっていく。

あの日の反対座席、窓を枠にして斜めに交差した飛行機雲。背景には夕陽で染まった空。写真を撮れなかったことを悔しいと思いながら、そんなこともあるだろうと思う。

人生のステップ、優しいこと怖いこと。そんな色々がある私も、落ち着いて行こう。新しい景色を見て行こう。

空、周りの色、そして君。そんな景色を また見せ合いっこしようね。
今日は、いつかの夕焼け空を添えて。
Sena.


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