意味づけとラベリング。強固な『癖』をやめる練習しています
自分の癖をやめるのは、なかなか骨が折れる。とある『癖』を一旦休憩する練習をしながら感じること。
①癖=起きた現象をすべて意味づけする
②癖=出会った人をすぐカテゴライズする
どちらも会社員だった15年間やり続けていたので、かなり強化されている癖。
どんなに嫌なことがあろうと悪いことが起きようと、『全ては意味がある』と思うことで良い人生になった自負があるからこそ、手放せない癖。
多くの人に会うため全然情報処理量が追い付かず、人を理解するために、瞬時にカテゴライズして、情報処理量を抑える癖。自身の婚活で有能だった癖だからこそ、これまた手放せない癖。
自分の成功体験を支えてくれてる癖だからこそ手放しにくい。
ただ、この二つの癖が停滞を引き起こさせている気もする。現実にある人生はとってもいいんだけど、なんか物足りない。良いなら満足しなよと思う心と、幻想を追いかける自分がいて。
毎月グループ講座に参加しているtomokoさんに相談し、アドバイスをもらった。
意味づけしたり、カテゴライズやラベリングするのをやめて、ただ感じることをしてみたらどうかと。
人に会っても何らすぐ判断しようとせず
話を聞いても、物語にして記憶しようとせず
何か現象が起きても、すべてを意味づけしようとしない。
これがめっちゃ難しいわけです。
すぐ判断しちゃうし、すぐストーリーにしちゃうし、意味を探ろうとする。脳の自動変換機、よく働いてくれてるんですわ。
まだ初めて1週間。
ちょっとだけ変化がある。
表情や身なりとか、目で見て判断していることが多いので、ZOOMとかだったら目をつぶって、人の発する音だけに集中してみたり。
夫と話すときにも、たまに目を瞑ってたりする。あやしい対応なんだけど、顔を見ると表情から察することのできる情報量が多すぎて、表情で判断しちゃったり、言葉を細かく聞くと言い方とか気になっちゃうから、目に頼りすぎず、言葉に頼りすぎず、音として聞いてみたりしているの。
そうすると
どれだけ目に頼り、言葉に頼っているか
が良く分かって。
言語化されてない、意味づけされてない、純粋な音。
おそらくエネルギーを感じることなんだけど、これまたエネルギーとはなんぞや。から紐解かないと納得いかない性分なので、今は
人から発されるものを音として感じてる。
もう一歩先に進むため
判断しない・カテゴライズしない・意味づけ癖を一旦やめてみて、ただ感じる練習中でございます。