競馬で高額配当を当てた場合、 「おごってほしい」と言ってきたり それを匂わすことを言ったりする人がいる。 そして、「どうやって当てたのか」は 聞いてこない。 運がよかっただけで当てたと思っておられるのでしょうか(笑)競馬の実力や学習能力が高くない人にそのような傾向が強いと思う。
・成長しない人は同じ過ちを繰り返す ・いつも同じやり方にこだわることは、そのやり方が正しい場合のみ効力を発揮する ・間違っているのに、こだわりをみせるのは、その人の学習能力のなさを露呈しているのに過ぎない
計算できる人に過ちありますが、 学習できる人に過ちはありません。 揚げ足とることは論理学で論理的ではなく、論理学は言葉での表現の限界を知る学問です。 論理的には矛盾はありません。論理学はすべてを言葉で表現するので矛盾が生まれます。 計算高いだけなら過ちに気づきません。
計算高いだけなら過ちに気づかないなら、自覚能力が伴ってない、ということで学習能力を語るとき自覚能力も語らざる負えません。 計算能力には自覚能力の有無があり、学習能力なら自覚能力の有無がありません。 よって計算能力と学習能力は違います。
【相互能力】が1になろうとも、【社会的能力】が狭く、相互能力を1にできる【理解位置】が相互能力に届かなければ仮想的で下層的な1にしかならず、実質においては【相互能力】は0の状態で保たれる。 ①この状態の共感は合わせてるだけで理解はしていない。 ②否定せずにいると寛解志向になる
明日、仕事行きたくない・・・。 でも、頑張って行くっきゃない!!
ま、そうなのだろう。いや、犬だって無論そう――。昨日、1秒にも満たぬ瞬間で再認識。ソレは、お散歩トイプーが見せた…学習能力。踏切渡御中、線路鋼鉄に前足滑らせズッコケる…ものの、後ろ足は両足揃えて“ピョイっ"と、ネ…線路鋼鉄、縄跳び越え!ほへー、犬も犬なりに学習しているのだねぇ!?