NiとNeは表裏一体。 もしも、一つの物事から10の可能性を見出した場合 Niは10の可能性の共通点を見つけて一つの可能性に収束していく。 Neは10の可能性の中から更に可能性を広げ20、30と拡散していく。 Niだけだと結論が不十分、Neだけだと結論が出せない状況に陥る。
パッと思いついたのでメモ書き Si 過去の出来事を事実に沿って細かく覚えている。 Se 今起きている事実をありのままに実況できる。 Ne 現時点で起こりうる複数の可能性を即答できる。 Ni これから先に起こりうる未来を予言できる。
「柔軟に対応」ってSe的なものとNe的なものがあると思う。 Se的には「Aが起きたらAに気分を切り替えて、Bが起きたらBに気分を切り替える」 Ne的には「Aなら〇〇のやり方を適用させて、Bなら△△のやり方を適用させる」という感じ
Neって「何でも可能だと信じる事」じゃなくて「ある事がどれくらい可能か把握する事」だよね……。 そうじゃないと適切な機会を見分けたり、可能性を心から信じて行動する事は不可能。 “どれがどれくらい可能か分からないから迷ったり色々信じやすい人”は実はNe劣等かも……私がそう。
段々Neの『多角的視点』について理解出来てきた。 Neは外向、つまり外側にある。皆が納得する視点から「もし〜なら、それとも〜なら」という可能性を認識する。 それに対して私にとっての『多角的視点』は「同じものでも人によって受け取り方が異なる」のようなものなので明らかに内向的。
直感機能が余りに曖昧なので、端的かつ視覚的に表してみる。 Ne……ARのような現実拡張子→Siによって感覚的に収束。 Ni……MRのようなシミュレート認識→Seによる外在的な感覚を受け取る。