まんまみーまMBTI心理機能定義書 - Ne「亜空間」
はじめに
以下参照。
定義(Definition)
外向的直観(Ne) = 亜空間(hyperspace)
副次的解釈:
拡散、可能性、概念上の存在、利害放棄前提の等価感覚
概要(Overview)
内向的直観の定義で触れた通り、客観的な直観であるためには、
①未だ無いもの
②在り得ること(論理によって説明可能なすべての概念)
③②の内、内向的直観以外の部分(③は結果的に②に含まれる=在るか無いかが分かる事を削除→詳細は内向的直観の定義を参照)
この3点が抑えられてることが外向的直観の必要条件となります。
①②より、想像できることはすべて外向的直観であるため、概念範囲としては内向的直観<外向的直観という関係が成立します。
②③により、内向的直観の範囲を削除したものを外向的直観とするため、
・在るか無いかが分かること
を削除します。
つまり、
・在るか無いかが言い切れてはいけないが、
・在り得るか在り得ないかが分かる
状態を指します。
在るか無いかが言い切れてはいけない=弁証的な視点を持たない(内向的直観の除外)
ということなので、抽象性を伴わない。(この際①未だ無い事という前提を忘れれないように。既に在る事(事実)であれば、それはただ存在を確認することを指すため。当事者が未だ無いと思っていることがポイント。)
以上を簡潔にまとめると、未知の存在を思い描ける状態ということになります。(内向的直観を同様の表現にすれば、未知の存在を割り出した状態ということになる。演繹的か帰納的かという違いで考えると簡単)
実際に、外向的直観的な思考回路を再現すると以下のようになる。
例題①
鉛筆は使うたびに削って芯を尖らせる必要があるため、短くなる(事実)
→削らずに元の長さのまま使える鉛筆も在り得る(仮定)
→シャープペンシルの存在(結果的に事実)
例題②
布団は、3mを超える身長を持つ人を考慮されたサイズではないのでその人にとっては小さくて寒い(事実)
→大きな布団があればよい(仮定)
→存在するか不明(非事実?)
例題③
Aさんの主張「トイレでたばこ吸うな、臭い」(少なくとも主張は存在する)
→Aさんの名言「喫煙所でうんこ吸うぞ」(仮定)
→多分そんな事例はない(ほぼ非事実)
といった具合に、ある事実の一部を引き継いで、論理的に語れることであればどんなことでもひねり出せるというのが外向的直観の思考回路です。
見ての通り、主張に事実が伴う必要はない(裏と表の関係を主張の中で担保しない)というか、定義通りに言えば、事実が伴ってはいけないので、聞いてる側からするとぶっ飛んでます。
主張に事実が伴う必要はない(裏と表の関係を主張の中で担保しない)
この部分を少し補足すると、裏と表の関係(例えば、モノを買えばお金が減るなど)を担保できてしまえば、それはただ物理的法則に則って事実を論じただけの事実であるため、既に在ることではないという観点を満たさなくなります。それでいうと、例題①のシャープペンシルの存在は結果的に事実であるため、少なくとも現代においては外向的直観的ではないということになってしまいます。
ここから分かる通り、例題①はかつて大昔にシャープペンシルが存在しなかった歴史が存在するため、当時は定義通りの純粋な外向的直観的な思考過程であったと言えます。とはいえ、思考過程のみに注目すれば、当人はシャープペンシルの存在を認識せずに想像しているため、外向的直観的な思考過程であると言えます。この現在/当時という時間感覚による微妙なズレがその他の心理機能との区別を難しく見せる原因でしょう。
ただ、この問題はあくまでも第三者の目線(自分が第三者の目線を持つことも同じ)によってその事実が存在するかを確かめる時のみ起こる現象であるため、当人を軸にすれば、すべて外向的直観的であることに変わりません。
つまり、
・時間軸の欠如
・第三者的目線の排除(主観的な経験=内向的感覚Si)
を同時に孕みながら、
ある事実からある存在を生成しているということです。
これらの物理的法則に則らないという前提(則ればただの事実であるから)によって導かれること、存在が成り立つ空間を探すような思考過程を考慮し、外向的直観="亜空間(物理法則が適用されない空間)"と定義します。
小噺「多様性の現代になったのは何故か?」
内向的感覚(Si)の執筆後、更新。