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外向的直観(Ne)が働いているときの私の脳内を図解してみたらインプットも大事だなと気づいた話

こんにちは。
連想はときに呪縛と思わなくもない、るんるんです。
ワサビって良く見るとユニークな形してますよね。


外向的直観(Ne)を言語化するというチャレンジ

MBTIとかの性格類型論やってると、
直観iNtuition」って言葉、
良く目にしますけど。

分かりにくいですよね。
しかも、「直」じゃなくて「直」だし、
それが「知覚」だって説明される。
味覚とか触覚とかと同類だって言われる。

ほわ~?
何を知覚してんねん!ってなると思います。

それで。
ちょっと考えてみたんですけど。
結論としては、
「脳が勝手に思いついたものを観てる」って
感じかなーと。

意外とネットの検索と同じような動き、
してるかもしれません。
「インプットに対して、それっぽい、びびっとくるやつ」が、
検索結果としてほぼ瞬間的に返ってくる。

ん?ああ。

みたいな。
ハッと気づく、って感じなんですよね。

これって、勝手な想像ですけど、
脳内の神経ネットワークで、
繋がりの強いもの、概念が、
発火してるのを感じてるのかな?
と思ったり。

それで、そのとき、より関連の強いものは、
強く発火したりして、
複数の要素間でお互いに関連するものは、
「共通項」として新たに認知されたり。

マインドマップって図がありますけど、
名前のとおり、
まさしくそんな感じだと思います。

直観が働いてるときの私の脳内のイメージ

図にしてみると、だいたいこんな感じ。

このときは、パスタに入れようと思って、
豆苗を切っているところでした。

「豆苗」(左上) ⇒ 「芸術性を評価するロジックフレームワーク」(右下)

ちょっと図の補足をすると、
矢印の方向に、連想は流れています。
実線の矢印が、実際に判断機能(Te/Fi)が「観た」情報です。
これは、頭を働かせて意識的に判断している自覚があります。

そこまで得た情報をもとに、判断して、
思考に条件付け、追加の情報を投入しているイメージ。

それで、連想には方向があるのですが、連想なので、
ひとたび繋がったものは「似た者同士」として認識します。
つまり、実際には逆方向にも辿れます。

ただ、感覚的には逆方向は違っていて、
「あっそういえばそうだ」という感じですね。
大喜利なんかは、
見る人にとってはリンクが最初見えていないので、
まさにそんな感じだと思います。

逆方向というのは、図の例でいうと、
「緑色」とか「にょろにょろ」がそうで、
奇妙な共通項という感じです。

それまでただの野菜だった豆苗が、
急にうぞうぞ蠢く寄生虫に見えてくる。
だから、当時、
きもーーーーーーー
とか思いながら、私は切った豆苗を鍋に入れてたり。

私の解釈では、内向的直観Niは、
普段から?逆方向に辿っているイメージで、
素直に順方向に拡散させているのが、
外向的直観Ne、という感じ。

いずれにしても、
「連想」自体が、
脳の本質的な挙動なのはあってるのかなと。

なので、「直観」は実際のところ、
ほとんどエネルギー使ってない気がします。
水が川を流れてる感じ。頭を使うのは水車を回す感じ。

お風呂とか、自然公園とか、散歩とか。
心身がリラックスしているときに良く出てくるのも、
そういうことだと思います。

お風呂こそが至高にして最強のシンキングタイム。
これは私はめちゃくちゃ実感あります。

それで。
後から見て面白いなって思うのですが、
最終的な発想である「芸術評価システム」以外にも、
いろんな副産物が生まれていて。

「もしかすると盆栽の創始者は
 生やし芸をしたかったのかな」とか
「寄生虫で盆栽も一興…
 いや…それはどっちかというと化け物枠か…」とか
別の想像が生まれたりもします。

同じものを見ても違うことを思いつくのはなぜ

で。
そこまで考えたとき。
ふと思いました。

同じ物理的な何かを見たときも、
そのときによって思いつくことが違う。
なんでだろう?って。

それって、見てるものが微妙に違うから?
バタフライ効果みたいなやつ?

それもあるかもしれませんけど、
「同時に考えてることが違う」
点が大きいのかなと。

先ほど、「連想ゲーム」である、
というお話をしましたけど。

二つの「連想ゲーム」が同時進行すると、
どうなるでしょうか。

すると、どこかで、二つが交わることがあります。
それが既知の概念であることもありますが、
その二つから独立に辿るだけでは見えなかった繋がりが
新たな発見を呼ぶこともあります。

先の図の例でいうと、
「豆苗」と
「遊びにしたい」ていう思いが出会ったから
「敵の倒し方の芸術性を競うゲーム」という発想でした。

別の言い方をすると、
「遊びにしたい」という思いがなければ、
おそらく発想は途中で終わっていて、
合体事故(事故じゃないけど)は起きなかった。

とすると。
乱雑なものを見たり、同時にあれこれ考えたりすると。
想像が膨らみやすい、ということかもしれません。
概念の闇鍋ができやすいってことですね。

インプットも一役買ってたね

こう整理すると、新しい経験や知識、
奇妙な組み合わせが、
さらなる新しいアイディアを呼び込むのが
分かる気がします。

視点の多さ、視野の広さだけでなく。
単純な手札、知識の多さも発想の豊かさに
繋がりそうだな、と。

言えば当たり前で、
通説でも良く言われてることかもしれませんけど、
自分で振り返ってみて、
なんか私は納得できました。


おしまい。



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