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エッセイ

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日頃思ったことを綴っています。
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ひとり相撲に猫だまし

ひとり相撲に猫だまし

 来年の新人賞に向けて小説を書いている。
 書くことが楽しい。伝えたいメッセージを芯にして言葉の粘土で肉付けしていく中で、物語の輪郭が見えた瞬間、無から有を生み出す快感に痺れ、病みつきになる。

 ただ不安がないわけではない。むしろ不安にまみれている。数年前に挫折した記憶を餌にモヤモヤとした塊が湿度を帯びて大きくなっていく。モヤモヤの塊は首の後ろに居座り続ける。

 SNS上では執筆に前向きなつぶ

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感情が動く刺激を逃さない

感情が動く刺激を逃さない

 久しぶりに生のほうれん草を買った。
 最近はセールの日でも値段が下がらなくて、今日も冷凍コーナーで買うか、となる日々だった。

 生産者さんの顔が印字されたパッケージを破り、ほうれん草の束を両手で掴む。茎と葉が擦れてキュッキュッと鳴いて掌に伝わる。みずみずしい感覚が嬉しくて思わず口の端が持ち上がる。

 私は五感の中でも触感に注目することが多い。
 そのため、書いている文章は手触りや温度に関する

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小さな背中と窓ガラス

小さな背中と窓ガラス

 台風の影響で雨が続いている。
 こんな日は敢えて部屋の電気を消して過ごす。曇天の仄暗さは湿気と低気圧で弱っている私に優しい。夕飯を作る時間まで休もうと横になると、視神経の鈍痛が睡魔となって瞼に比重を移していく。

 微睡みの中で思い出すのは、幼い頃の雨の休日。
 女手ひとつで子を養う母が寝返りも打たずに寝ている。兄弟はそれぞれの場所で母が起きるのを待つ。ベランダへ繋がる掃き出し窓の前が私の居場所

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老いを教わる

老いを教わる

 旦那のばあちゃんが、体調を崩して病院に運ばれた。

 私が嫁いだ頃、ばあちゃんの視力は光を感じる程度でほとんど見えていなかった。すり足で近づいて、私の手を握って、腕を擦って、肩を叩いて、私のことを一つ一つ確かめてから「よろしくお願いします」と言ってくれたのが嬉しかった。ばあちゃんは旦那と同じくらい私のことを可愛がってくれた。

 大人の事情で父方、そして母方、両方の祖母と疎遠になっていたので、孫

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ただ合わなかっただけ

ただ合わなかっただけ

 最近、古本屋に行くのが楽しい。
 気になったタイトルを見つけたら手にとって表紙を眺める。食事をテーマにした小説が好きなので、食べ物がタイトルに入っていると高確率で目に留まる。表紙に美味しそうな料理が描かれていたら嬉しくて仕方ない。買い物かごに入れて別の本棚をチェックしていく。
 少ない予算でたくさんの物語と巡り合えるのは有難い。面白かったら同じ著者の新作を新品で購入する。ちゃんと好きな作家さんを

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試して、考えて、やめたらいい

試して、考えて、やめたらいい

 私はお茶が好きだ。
 でも誰かに「お茶が好き」と言うのは勇気がいる。
 電子レンジで水をティーパックごと温めて、そのあと牛乳を注いでミルクティーを作っていると友人に話したことがある。それを聞いたお茶好きの友人の声が半音下がっていて、私はお茶好きと名乗ってはいけないのだと感じた。

 気分がいい日は小鍋でとっておきの茶葉を煮るし、丁寧に淹れたミルクティーの美味しさだって知っている。
 だけど、毎日

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あちらのお客様から

あちらのお客様から

 ここ数日、私は酷く落ち込んでいた。
 色々な出来事が重なって、これまで選択してきた道を疑って、自分に自信が持てなくなっていた。

 眠りが浅いのか目覚めの悪い夢ばかりみる。まだ朝なのにもうクタクタで何も手につかない。
 仕方がないので家族を送り出した後、風通しの良い部屋に簡易ベッドを設置して、時間が許す限り横になる。

 子どもが帰ってくる30分前、スマートフォンのアラームが鳴った。
 蛍光灯の

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やってみなくちゃわからない

やってみなくちゃわからない

「やってみなくちゃわからない」

 とある科学番組のキャッチフレーズ。
 私はこの言葉が大好きだ。挑戦的で心をくすぐる魅力がある。日頃から意識して口にするくらい私にとって力のある言葉で、やる気エンジンをかけるときの鍵となっている。

 今日は読んでいた小説に登場する氷出し緑茶を再現しようと試みた。原作の方法を完璧に再現できなくてもいい。こういうのはフットワークの軽さが大事だし、家にある物で工夫する

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リアルな気配を求めて

リアルな気配を求めて

 インフルエンザ流行による学級閉鎖が解除され、ようやく誰もいない家で執筆作業ができる。
 けれども、どうにも集中できない。机の前に座っていられない。すぐに気が散ってしまい、気づけばSNSに手が伸びる。

 それなら場所を変えよう。
 出不精の私の気が変わらないうちに、近所のコーヒーチェーン店へ向かった。

 開店から30分。すでに半分近くのテーブルが埋まっている。コンセントがある共有テーブルの右端

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ココアの溶け残りがおいしい理由

ココアの溶け残りがおいしい理由

 ココアを作るとき、パッケージに書いてあるよりも多めに粉を入れる。当然、ホットミルクから飽和した粉は溶け残ってマグカップの底に溜まる。
 私はあのザリザリとした溶け残りに魅力を感じる。
 スプーンに集められた濃いペーストを舐めると、砂糖の甘味とカカオの苦味が牛乳で中和されることなくダイレクトに感じられて、なんだか嬉しくなるのだ。

 こんなにもココアの溶け残りに魅力を感じるのはなぜだろう?
 
 

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走るためのどら焼き

走るためのどら焼き

 気がつけば午後3時過ぎ。
 作業に熱中しすぎて昼ごはんを食べ損ねた。
 あと10分もすれば子どもたちが帰ってくる。でも、腹の虫の雄叫びは止まらない。

 おやつストッカーに駆け寄り、チョコレートの小袋を掴んで睨みつける。これっぽっちで足りるわけがない。両手でガサゴソとかき分けた先、先日貰ったどら焼きと目が合った。
 ビニール包装までかぶりつく勢いで一気に頬張る。せかせかとした気持ちを柔らかく包む

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おふくろの味候補

おふくろの味候補

 私のおふくろの味は、冬瓜スープだ。

 母の料理は、いつも力強かった。
 血合いで赤々とした鰹節が、踊る暇もない勢いで鍋に投入されていく。賽の目状に切った豚肉と冬瓜も加わり、火が通ったら味噌を解いて出来上がり。

 やれ兄ちゃんの肉が多いだの、自分の肉は少ないだの、文句を言いながらも、子どもの口には大きいサイズの冬瓜を頬張る。
 鰹出汁の香ばしさと味噌の塩気、それに肉の旨味が染みた冬瓜は、ジュレ

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マネージャーの水出し茶

マネージャーの水出し茶

 私はいつも寝る前に大量のお茶を作り置きする。

 5人家族なので1リットルのボトル5本分。長男と旦那の麦茶、長女のルイボス茶、次男の黒豆茶、そして私の緑茶。それぞれのボトルにお茶パックを入れて水を注ぐ。

 翌朝、良く冷えたお茶を水筒に詰めて、家族を学校や仕事へ送り出す。そして、大量の空きボトルを洗う。スポンジを握りしめてゴシゴシと洗う姿は、まさに部活のマネージャーだ。この「部活のマネージャー」

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ご機嫌カルピス

ご機嫌カルピス

 今朝から憂鬱だった。送り盆当日にスーパーへ買い出しに行く用事ができてしまったからだ。混むと分かっていたから前日に買い出しを済ませていたのに、歯磨き粉の銘柄がいつもと違うことに泣き出した次男によって、私の計画は水の泡となった。ちなみに私の名誉のために説明すると、銘柄を間違えたのは旦那である。

 駐車場入口にある「満車」の赤い字がより心を沈ませる。どうにか空いている場所を見つけて車を停めたけれど、

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